私たちが真実でなくても・・・・・

ゆっこさん

■北海道在住の主婦。バイブルカレッジの通信生の方です。

私が聖書を初めて手にしたのは中学生の時だ。放課後、校門の前で3人の方が聖書配布をされていた。誰も断る人もなく、私もつられて受けとった聖書だった。パラパラとめくってはみたものの、なかなか読みこなすこともできず、そのまま自分の部屋の本棚の片隅に置かれることとなった。

今思うと不思議だが、当時は合唱に熱心な教師によって公立の中学校であるのにもかかわらず、「ハレルヤコーラス」を卒業式に歌うことになった。全校あげての4パートに別れての練習を毎日のようにやっていた。「キング・オブ・キングス、ロード・オブ・ロード」と。

またテレビではロードショーブームで良く洋画が放映されていた。その中で観たのが「キング・オブ・キングス―偉大な生涯の物語―」だった。印象に残ったシーンはイエス・キリストが墓から甦り復活したというニュースが大変な喜びと共に口から口へ伝わり、その喜びが泉のように湧きあがるところだ。「復活だ!」という言葉が私の中にも喜びをもたらし、訳がわからないままに深い感動を覚えたものだ。

そうして静かにイエス・キリストなる御方が私の心にひっかかっていった。

誰もが一度はこの全宇宙は一体どうなっているのであろうか、その中で自分が何ものであるのか、また生きていく意味とは何であるのかと考えたことがあるのではないだろうか。私は生まれた時から内向的な性格で、よく夜空の星を見上げてはそんなことを考えていたタイプだった。自分の中にあるどうしようもない孤独と不安。遊び友達にはことかかなかったが本当の自分を理解してくれる人はいないと心の中では思っていた。

自由勝手な生き方をしていた19才の秋の頃だった。一日数冊の本を読まなくては気がすまない少し活字中毒者なような時期でもあった。その日に限って 手元に読むべき本が一冊もないのである。とにかく字の書いてある本なら何でもいいと思い、本棚の片隅にあった聖書を取り出し読み出した。そしてマタイ6章25節まできた時「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。」のみ言葉が私の心を開いた。「思いわずらわなくてもよい生き方があるんだ・・。」

続けて読んでみた。34節に「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」とある。「なんて自由な生き方なんだろう。人にも自分自身にもどんなものにも束縛されず、自由そのものじゃないか。こんな風に生きられたらどんなに楽だろう。」と思った。結局、その聖書を最後まで読んでみた。

「清らかなクリスチャン生活など、どだい私にとっては無理な話だけれど、これぐらいは許されるだろう。」というほんのいたずら心から、最後のページの「キリストを私の救い主として受け入れる私の決意」のところに自分の名前を書いてみた。それは誰も知らないことだった。

いたずら心でしたサインのことも忘れ、また月日がたっていった。もうすぐ24歳になるというある日、私は仕事帰りで疲れて歩いていた。横断歩道を渡りかけていた時、時速80キロのスピードで走ってきた乗用車に思いっきり跳ねられるという事故に遭ってしまった。運転していた青年も、目的地に急ぐあまり私のことが確認できず、双方がお互いを確認した時には、時すでに遅しの状態でおこってしまった事故だった。

跳ね飛ばされた私はアスファルトの上に全身を叩き付けられた。頭からは大量の出血、失神している私を見て、その場にいた人は万が一助かったとしてもこの人はどうなるのだろうと思ったらしい。

4時間後病院のICUの中に私はいた。検査の結果は頭皮を25針程縫う裂傷と、右肩の鎖骨の部分を大きく脱臼するだけですんだことをが分った。誰もが奇跡だといった。神を信じない人もななんらかの力が働いたことを信じた。ただ私だけが戸惑っていた。生きていることが嬉しくて涙を流しながらも、何故こんな者を助けてくれたのだろうか。いいことをしていて助かるのなら分る、でも私はいい人間ではない。どうして助かったのだろう・・・。

入院生活を送っていたある日、3人の方がたが私を見舞ってくださった。一人は中学校からの先輩のSさん、あとの二人は高校の先輩にあたるが面識のないご夫妻だった。それぞれが私の遠方に住んでいる友人達から、「心配なので見舞いに行ってほしい。」と頼まれたのである。その方がたが「今日こそお見舞いに行こう。」と思いたち、私の入院先に向かって歩いていたところ、街の中でバッタリ鉢合わせになったそうだ。行き先を尋ねあうと、私の所であり、またそれぞれが違う方から頼まれたという不思議に、これは神の導きと、喜んできてくださった。その3人はクリスチャンだったのである。

熱心にイエス・キリストのことを語ってくださったのに、素直でない所のある私は、すんなりと受け入れることはできなかった。しかし、心の中では自分が、こんなひどい事故に遭ったのに助かったことと、3人のクリスチャンの方がたが不思議な方法で見舞ってくださったことを、偶然とはいえないことであることは分らされいた。

丁度その頃、真理を求めいろいろな宗教を渡り歩いていた母が、それまで通っていた異端と言われる宗教団体に疑問を持ち始めていた頃だった。私は退院後Sさんに誘われ、Sさんの教会で上演した「ナザレのイエス」の映画を母と二人で観に行った。

見終わった後、母は通っていた宗教団体と決別することを決めた。救いはイエス・キリストの十字架の贖いにのみあるのだと悟ったのだという。

その後、母はSさんと共に教会に通いクリスチャンとなった。

数年後結婚し、私は夫の両親と同居することとなった。価値観の全く違う環境に入り、また息子も生まれ、私はどうしようもない心の葛藤を覚え始めた。努力してもどうにもならない壁に、初めてぶつかったのである。先にクリスチャンになった実家の母に相談すると、教会に行くことを勧められた。私の嫁ぎ先のすぐ側に教会があり、評判の良い教会であることが分った。

私は何度かためらいながらも、ようやくの思いで教会の門をくぐった。知り合いは誰もいなかったが、私を待ってたものは、中学校で歌ったあの懐かしい「ハレルヤコーラス」だった。その教会は毎週の礼拝で4パートに別れ、ハレルヤコーラスを歌っていたのだった。その懐かしさも手伝い、その教会に通うことになった。

教会に通いはじめる前から、イエス・キリストこそ真の神であるのではないかと信じるようになっていた。しかし毎週日曜日に教会に通うこと、清らかな生活をするクリスチャンなど私は絶対になれないと思っていたし、なるつもりもなかった。そんな気持ちであったのにもかかわらず、教会通いは順調に続いていった。礼拝が終わったらすぐ家に帰る求道者の私には、教会で親しくなる人もいなかった。

牧師のメッセージを聞いて、いろんなことが分りかけてきた頃、私はまたしても事故に遭ってしまった。まだ一歳半の息子を前に乗せ、自転車で横断歩道を渡っていた時だった。信号は青で3分の2を渡り終えた時、ゆっくりと左折してきた乗用車が私達の方に突っ込んできたのである。

その日は強い西日が差しており、白内障を患っている高齢の運転手には私達の姿は全く見えていなかったのだった。幸い息子はかすり傷、私は腰の骨を折っただけですんだ。腰の骨といっても、そのままほっておいてもよい箇所だった。私はかなりショックを受けた。24歳の事故以来、神経質なぐらい気をつけていたのにこんなことが起きるなんて。これから起ころうとすることなど、自分自身で予測をすることもできないし、人の生死も自己の努力ではどうにもならないのだと改めて考えさせられた。

実は私がまだ赤ん坊の時にも、事故に遭っている。兄が私を家の近くの堤防にそり滑りに連れて行き、そりに私を乗せ、思いっきりそりを滑らせた。たまたま堤防の下を通ったトラックに、私はそりごと巻き込まれてしまった。うまくクボミにでも入ったのだろうか、あとかたもなくそりは壊れてしまったのに、私はかすり傷もなく無事だったと知らされている。これらのことを思い返してみても、何かに守られているとしか思えない。でも、こんなどうしようもない人間をどうしてそんなにも救ってくれるのだろうか。救ってくれたのは真の神であるイエス・キリストしかいない。イエス・キリストとはそういうお方なのだろうか・・・。「神は愛なり。」という聞きなれている聖句の「愛」が私の思考をはるかに超えたものであることに思いを巡らされた。

クリスマスも近づいたある日、夜眠ろうとすると突然幼い時から犯してきたあらゆる罪が頭の中を駆け巡った。今まで罪だと思っていなかった、心の中の醜い思いも罪となって現された。そしてそれにもかかわらずイエスは私を救い続けたという事実。眠れない夜が三日も続いた。「私は罪びとであり、イエスの赦しが必要である。」ともう認めるしかなかった。これは聖書に書いてある通り、神の前で罪を告白しなければならないと決断した。12月25日の朝、私は牧師に電話をし教会を訪れ、イエス・キリストなるお方の前で赦しを請った。顔は涙でグチャグチャになった。


「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」2テモテ2章13節


頑固で理屈っぽく素直でなかった私を、なんとねんごろに救いの道に導いてくださったのだろうと何時も思う。

クリスチャンになり色々なことも起こってくるが、イエス様は一つ一つ手を取り足を取るがごとくに行く道を教えてくださる。神の計り知れないご計画の中をただ恵みによって生かされていることを覚え感謝の毎日だ。バイブルカレッジの学びで聖書のみ言葉がダイレクトに私を潤し、あの19歳の秋に私が願ったキリストにある自由をさらに開いてくださったもことも嬉しく思っている。


「なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」ローマ8章2節