天のお父さまとの会話

菅原弘子

■KFCのメンバーで主婦。体が弱かったが主をエンジョイする中で癒され、元気に主を賛美しています。DVD:Faith03に超アップで出演中。


私はイエス様と直接お話をしたいと願い続けていました。だからといっていつもカリカリと祈っていたわけではありません。思い出したときに祈っていました。

ところがプラクティカルコース第4回講義終了時に今日の学びをアーメンと信じるなら難しいところは何もないと気づき、そうありたいと主に叫んでいたところ、「私が導く」と言うことばが思いの中に響き、これは主の声だと判断しました。

これがそもそもの始まりとなりました。


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※2004年7月1日何となく心の中で・・・

私:主よ、あなたは私の心のうちまでご存知なんですね。それなのになぜ祈る必要があるのですか。祈らなくても分かっているのに。

父:わたしはお前の口でそのことを言って欲しいのだよ。

私:心の中で祈ることは?あなたと対話するということは、元になるあなたのみ言葉が入っていないと話せませんね。私の心から出る言葉でもいいのでしょうか?

父:わたしの愛する子だからだよ。

私:うわ〜、何と言ううれしいことばでしょう!あったか〜い。今私の横で言われているみたい!

 (ここでうれしさのあまり霊の流れが散漫になり、お父様の声が分からなくなりました。)

父:わたしは創造の前からあなたを選び、母の胎の中で造ったのだよ。

私:私を創造の前からとは?私の霊だけがあったのではないでしょう?無数の霊の中から?

 (このときはあまり集中できず、これだけでした。)

ある兄弟の証を読んでいた時、マルコ16:16-18の御言葉が出てきて、私が夢の中で見た光景に、鳥小屋の横木に大きな蛇がぶらさがっており、エサをあげに入ったときに、まさに襲いかからんとして頭を向けてきたのですが、私は右手で頭をつかみ(毒蛇ならかまれたら死ぬんだろうなと思いながら)、つぶしている夢をみたのです。アララ・・・。手で蛇をつかみと聖書に書いてあるんだ。忘れていて知らなかった。頭では覚えていなくても霊は知っていたんだ〜。それ以後悪夢に苦しむことがなくなりました。

主イエスの持っているものはすべて私に与えられている。それは信仰による。私の何が100%の信仰を阻害しているのか?

 (最初は主にたずねると言うよりは、自問していているうちに、たずね出したのです。)

自問:どこをどうしたらよいのか。あなたにすべてをゆだねること?気がつかないが、私のうちにゆだねきっていないところがあると言うことか?

私:あるいは時が必要ですか?熱い思いで求めています。あなたは私の願うところを聞いてくださる方です。イエス様は「わたしの名によって求めなさい」とおっしゃっています。これは私に対して要求されている。御心から離れているのでしょうか?私はあなたに従いたいと思い続けているのです。

父:お前は何を求めているのか?100%の中身は?しるし・不思議かい?わたしはお前のレベルに合った導きをしているのだよ。

 (おっとっと、これは私自身のことばか、神のことばか・・・?)

私:いきなり100%にはいけないのですか?他の人たちはどうなんでしょう?

父:他の人のことはどうでも良い。(強い響きでした)わたしとあなたの関係だけだよ。

私:100%の信仰を得るには御言葉が肝心要ですよね。その御言葉を覚えられないのです。読んでも、聞いても、すぐに忘れてしまうのです。同じところを3度は聞かないと頭に入らないのです。これって時間の無駄ではないでしょうか?私の生きる時間が私にはいつまであるのか分かりませんが、もうじき65歳になるんですよ。もっともあなたはすべてご存知ですね。

父:お前はその時まで、わたしを求め続け、従い続け、歩み続ければよいことだよ。もっともっと、わたしとの会話を楽しむが良い。時間ではない。霊の中の深まり、わたしとの交わり、それをただ楽しんでおくれ。わたしもそんなお前を楽しんでいるのだよ。そうすればわたしの光がお前を照らし、輝いてきて、わたしの栄光をその体で現してくれることがわたしの喜びなんだよ。

私:初めに戻りますが、神様、あなたは私の信仰を私の進歩に合わせて導いてくださると言うことですか?

父:そうだよ。

私:うわ〜、ありがとうございます。早く100%になりたい!絶えずイエス様に思いを向けて、歩み続けたいと思います。ハレルヤ!

こんなひと時が持てるとは思いもかけないことでした。ありがとうございます。日々何が起こるか分かりませんが、主は思いがけないことを次々に見せてくださってことを感謝します。