−−−−−["かえる"さんのメール]−−−−−−
はじめまして。
HPを読ませていただきまして、ありがとうございました。
上野に行きカルチャーショックを受け寿のHPを探し、はあちゃんのページを見つけて、そしてluke兄のHPへと導かれました。
先日、数十年ぶりに上野の杜に絵を見に行きました。ふと見たら青いビニールがかぶさったダンボールの家(?)があちこちにあり、美術館や音楽会とは無縁のような人たちが所在なげに歩いていました。
広場ではイエスキリスト救世教会という旗をたてた人たちが主を賛美する歌を歌いながらバナナと飲物を配っていました。行列をつくって並んでいた若い人や年とった人は受け取るとそれぞれにどこかへ散っていきました。
知識としては知っていましたが目の当たりにするとこれが現実かとただビックリしました。
毎日食べる物があり、暖かな寝る場所のある私は、その人たちに向かって「明日のことは思い煩わなくても神様が心配してくださる」とはとても言えません。この方たちの上に主の豊かなあわれみがありますように、と祈ることしかできませんでした。
一緒に行った主にある姉妹は、「物を配ってもほんとの救いにはならない、魂の救いを祈ることが大切」と言いました。そうかもしれないけど、私には、「あなたにはなにができるか?」と主に問いかけられた思いがしました。
「自分さえ救われて、食べ物、寝場所の心配がなければそれで、もういいのか?」と。
この寒い空の下にいる人に何も言えない、何も出来ない自分を知り、主のみ前に小さくなりただごめんなさいと祈るばかりです。
私は救いにあずかり、明日のことは心配いらないと言っていましたし、思ってもいました。でもあの人たちのことを思うと、「どうしよう、」と困ってしまいます。
命の保障さえ確かでない人の前に自分の信仰は一体どうしたのでしょうか?主がマナをくださるから祈れば大丈夫と確信をもって断言できないのです。明日を思い煩わなくても主が守ってくださると云えない自分があるのです。信仰の弱い私にもできること、それは祈り、と思いますので、上野の方、寿の方、そしてまだ私の知らないところで苦しみにあっておられる方の上に主の豊かな祝福をお祈りさせていただきます。
私にはまだそこまでの行動力はありませんがいつか主が押し出してくださると思いますので祈りつつ焦らず時を待ちます。無理して行くのではなくほんとに行きたくなるときに寿のカナン教会に行こうと思っています。
ほんと言うとホームレスの人とつきあいがなくてちょっとこわいなあと言う偏見があるのも事実なのです。お酒を飲んで酔っぱらっている人もこわいんです。差別している気はまったくないのですが、これってしてるんですよね。
こんな自分が情けなくなります。差別は嫌いなはずですのに、、、。 イエス様が一番愛していてくださる弱い立場におかれた方たちの上に主の栄光があらわれるのでしょうね。
佐藤牧師夫妻のうえに、luke兄のうえに、皆様のうえに、主の祝福とお守りがありますように。
クリスマスにイエス様を見上げ救いにあずかる方が一人でも多くでられますように。心からお祈りいたしております。
イエスさまから宿題をいただきましたので、祈りつつこの問題を自分のこととして忘れないで、抱えていきたいです。
私にもようやく回りを見まわすゆとりを主からいただくことができたようです。
主にあって
かえるより(主にかえる、はじめの愛にかえる、の思いを込めてつけました)
PS luke兄のHPにお証しがでていますが、ハンドルネームでの証しはいかがでしょうか?もし「かえる」でもよろしいのでしたらこの証しを用いていただけたらと思いました。
−−−−−["かえる"さんの証し]−−−−−−
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれであなたのおきてを学びました。
あなたの御口のおしえは、私にとって
幾千の金銀にまさるものです−詩篇119−71,72.
私は27年前に主から特別な子供をさずかりました。知能障害と肢体不自由の上病弱で日常生活のほとんどに介助の手を要します。イエス様を知らず自分で何とか育てなければと無我夢中でした。また親亡きあとの不安をかかえ身も心も休まる事のない毎日でした。
養護学校高等部を卒業後、施設入所を経験させることが大事との指導を受け7ヶ月入所しました。子供は環境が変わり睡眠障害を起こし眠れなくなったり、また他の方からかまれたり引っかかれたりかみの毛を引き抜かれたりいつもケガ等が絶えませんでした。
自分のこと以上につらく親亡き後はこんな暮らしが待っているのかと子供の将来を見た思いがいたしました。またこんな事なら連れ帰りたいと何度も思いましたが、福祉事務所から途中でやめないようにと念を押されていたこともあり言い出せませんでした。
私がいつも、いつまでも、子供のそばについて助けてやることは出来ないのだと苦しみの中で自分の無力さを知り愕然としました。この時初めて神様を真剣に求めました。自分も夫も職員も誰も子供を守れないとわかり時空を超えて何でも出来る神様にすがるしかないと教会へ行きました。礼拝、祈祷会、婦人会と通いましたが牧師につまずき悩みました。
救いの確信も得られず、教会にも不信感から通えなくなり、でも神様を求めていた時、ある集会に出会いました。ここに私の求めている神様がいると思い、主人と共に子供を連れて行きイエス様のお話をしていただき主の救いにあずかりました。
20年間頑張って背負い込んでいた重荷からあっという間に解放されました。今から7年前のことです。
子供のことを主にお願いし将来のこともお任せできるとわかり親の責任からも解放された時に初めて心から子供が可愛いと思えるようになりました。また自由に外出できないことも私にはつらかったのですが主が共にいて下さることを知った時からこのことからも解放されました。家にいても窓から主がおいでになる空が見えると気づかされて再臨を待つ喜びに変えられました。
自分で何も出来ないはずの子供をとおして家族みなが洗礼を受け天国の希望を頂いております。最後に詩をご紹介いたします。
「天国の特別な子ども」
会議が開かれました。
地球からはるか遠くで「また次の赤ちゃん誕生の時間ですよ」
天においでになる神様に向かって天使たちは言いました。
「この子は特別の赤ちゃんで沢山の愛情が必要でしょう。
この子の成長はとてもゆっくりに見えるかもしれません。
もしかして一人前になれないかもしれません。
だからこの子は下界で出会う人々に
特に気をつけてもらわなければならないのです。
もしかしてこの子の思うことは中々わかってもらえないかもしれません。
なにをやってもうまくいかないかもしれません。
ですから私たちはこの子がどこに生まれるか注意深く選ばなければならないのです。
この子の生涯が幸せなものとなるようにどうぞ神様この子のために
すばらしい両親を探してあげてください。
神様のために特別な任務を引き受けてくれるような両親を。
その二人はすぐには気がつかないかもしれません。
彼ら二人が自分達に求められている特別な役割を。
けれども天から授けられたこの子によってますます強い
信仰と豊かな愛をいだくようになることでしょう。
やがて二人は自分達に与えられた特別の神の思し召しを悟るようになるでしょう。
神からおくられたこの子を育てることによって。
柔和でおだやかなこのとうとい授かりものこそ天から授かった特別な子どもなのです」
Edna Massimilla作
大江裕子訳