続・摂食障害から癒された私

早瀬 智加子  (Chikako Hayase)

■本稿は2000年6月15日、馬橋キリスト教会 「聖書クラス」にての証しをまとめたものです。



今年で結婚10年になりますが、子供がいないので、いつまでも子供の視点から物を見ているような気がします。しばらく、子供の私の声に耳を傾けてください。

私の父は船乗りでした。職業柄いつも家にいるという訳ではありませんでしたが、船を降りて家に帰って来ると、しょっちゅうお酒を飲んでいました。暴力は振るわなかったのですが、飲むといつも些細な事で母に当たっていたので、私にとって家庭は決して安心できる場ではありませんでした。私には十歳年上の兄がいましたが、兄もこういう父と家を嫌っていたので、高校を卒業すると家を離れて行きました。ですから私は小学校3年から、ほとんどは母との二人暮らしでした。母は躾に細かい人だったのですが、今考えると子供の私は、父にいじめられる母を見ながら、私は母を決して悲しませてはいけない。母にいつも従って、いい子でいなければいけない。≠ニ無意識に思っていたと思います。

こういう子供時代を過ごし、二十歳になって、総合商社に就職しました。希望通りの就職でしたが、この頃から私は、自分自身の心の問題に気付くようになりました。いつも人からの評価を気にしていて、強い劣等感を持っている自分に気付くようになりました。人間関係のストレスと残業も多かったことから、精神的に耐えられなくなり、3年でその会社
を辞めました。


その後、決心してアメリカに渡り、オクラホマ州で半年間を過ごしました。アメリカに対する憧れもありましたが、何もかもから逃げ出したい気持ちがありました。自分自身の弱さや家庭内の問題など、すべて忘れて、一からやり直したい気持ちでした。オクラホマの英語学校では沢山の友達ができ、ホームステイをしていたアメリカ人家庭は、クリスチャンでしたが、いつも温かく接してくれて、夢のような半年でした。

そして、日本に帰って来たのですが、帰ってみると、やはり現実が待っていました。家の中は相変わらずの暗さで、私は家を出る決心をし、一人暮らしを始めました。アメリカ生活で少し体重が増えたことを気にして、私はその頃ダイエットをしていました。食べるのを我慢すればする程、面白いように痩せて行きましたが、ある時から猛烈な食欲におそわれるようになり、私は過食症になってしまいました。食べても食べても、まだ食べたい状態で、まるで心の中の孤独感や空しさを食べ物でうめるかのようでした。過食をした後に、もうこんな事はこれっきりにしようと何度思ってもやめられませんでした。自殺までは考えませんでしたが、夜寝付く前に、このまま目が覚めなければいいのに、明日が来なければいいのにといつも思っていました。

精神的に追いつめられて、オクラホマから帰った2年後に、またアメリカを訪れました。その時は単なる旅行だったのですが、日本での日常生活があまりに辛かったので、そのまま帰りたくないような心境でした。一週間程の滞在でしたが、日曜日が来て、私は教会に行ってみようと思いました。そして、ある教会で、一人の日本人牧師に出会いました。色々話をしているうちに、その牧師さんは突然変な質問をしました。側にあったボールペンを指差して、「これは、どうしてここにあるのだと思う?」と聞きます。「このボールペンをこのように作った作り手がいるから、ここに存在するのでしょう。」と牧師さんは言うのです。本当に世の中、人間が作り出した物で溢れていて、その一つ一つに作り手と目的がある。≠サう思った時に、人間が目的を持って何かを作るように、神という造り手が、目的を持って私達人間と私達の住む世界を造った、と考えてもおかしくはない。≠ニ私には思えました。

その後日本に戻り、毎週教会に通うようになり、しばらくしてイエス・キリストを心に受け入れて、クリスチャンになりました。けれども、特別な変化など、何もありませんでした。クリスチャンになると感じると言われる「喜び」や「安心感」など全く解りませんでしたし、祈っても祈っても過食は治りませんでした。相変わらず強い劣等感を持っていて、加えて、クリスチャンになった為に、クリスチャンなので、こうあるべき、というような思いにも縛られるようになってしまいました。

その後、クリスチャンの夫と結婚し、その事はとても幸せな事でしたが、心の問題の解決には繋がりませんでした。けれども、そんな中、自分自身を深く見つめる時間を持つうちに、少しずつ自分の抱えている色々な問題が見えてきました。一番の問題は、神様がありのままの私を愛してくださっている、ということが解っていないという事でした。「ありのまま」というのが、頭ではわかっても、心で理解して受け取ることが私にはなかなかできませんでした。私は「ありのまま」の自分をいつも責めて嫌っていたし、子供の頃から、もっと良い自分にならなければいけない、母の期待にもっと答えなければいけないと思ってきました。自分が自分を受け入れられないのに、この私を、そのまま愛してくれている方がいると信じるのは難しいことでした。そんな私に神様は、「私が愛しているあなたを、あなたも愛しなさい。」と言ってくださっている気がしました。

少しずつ自分を理解し受け入れられるようになるに従って、神様にも心を開けるようになって行きました。家庭環境も大きな原因になっているとはいえ、こんなにも不健全でズレてしまった自分がいる。≠ナも、自分では自分をどうすることもできない。≠ッれども、神様はこんな私を愛してくださり、哀れんでくださる方で、それだけでなく新しい命を与えてくれて、私を変えることができる方。=cそう解ってきた時に、喜びと感謝が心に溢れてきました。私は子供の頃から悲しみや寂しさを抱えてきたし、悲観的な性格は仕方がない。クリスチャンになっても、心からの喜びや感謝は私には無縁のもの。≠ニずっと思ってきましたが、そうではありませんでした!

………過食症も完全に癒されて、今、私の気がかりは、両親の事だけになりました。兄が家を出て、私が家を出た後も、父の飲酒の問題は相変わらずで、母は父からの過去の仕打ちを恨み、現在も続く仕打ちに怒り続けています。両親の問題だけは、私の心を本当に暗くします。だから、なるべく考えないようにしよう、どうにもならない事を思い煩って暗くなるより忘れていようと努めてきました。…けれども、長い間、見事に騙されてきたと気付きました。どうにもならない事ではなく、どうにかすべき事だったのです。母自身が父の問題をどうにもならないと諦め、耐えてきたので、私もそのように信じ込まされてきたのだと、やっと気付きました。…父は多分、アルコール依存症という病気です。病気ならば治療が必要で、治療すれば治る可能性もあったはずです。母は自分自身と家族のために、解決法を求めるべきだったのです。でも、そうはせずに耐えるばかりで、恨みを積もるままにしてしまいました。

今、母が、自分は父の被害者だと信じていても、仕方のない事かもしれません。確かに父は母に、ひどい事をしてきました。簡単に赦す事などできないでしょう。でも、母が父の被害者なら、私は母の被害者です。私は過食症になり、その大きな原因が「母親の愛情不足」にあると知って、はじめて母の客観的な姿が見えてきました。子供の頃から、こうあるべき、こうすべきと、事あるごとに述べ立てて、目の前の私を決して認めてはくれない母でした。世間体を気にするように教えられ、他人としばしば比較され、結局「母の理想の子供」になれなかった私は、心に深い傷を負うこととなりました。私は母の被害者なのです。もし私が「母を赦さない。」と言ったら、母は何と言うでしょう。多分、「父のせいで満足な子育てができなかったのだ。」と言うことでしょう。…でも、それなら父にも、こう言う権利があるはずです。「自分がこんな状態になってしまったのは両親のせいだ。」と。

父がお酒飲みだった事も、自分が過食症になった事も、本当に残念で悲しい事です。でも、あの家に生まれていなければ、平凡な生活の有難さを、こんなにも感じる事はなかったでしょう。緊張感や暗さのない家で、安心して過ごせる幸せ、夫と共に平和な時間を持てる幸せを、しみじみ感じています。…今はただ、自分自身を顧みず、心に憎しみを抱きながら生きている母が、哀れに思え、心に傷や弱さを持ちながら、誰にも理解されず、誰からの助けも得られずに生きて来なければならなかった父が、哀れに思えます。

同じ問題を持つ家族は少なくはなく、支えになってくれる機関は、色々あるのです。どうして母は外に目を向け、差し出されている助けを受けようとはしなかったのでしょう。今、母はストレスのため、健康を害するほどです。また、どうして母は、子供の私が必要とした愛情を注いではくれなかったのでしょう。母には私を苦しめるつもりなどなく、母なりに私を愛してくれていたのだと解っています。でも、結果的に私は、心を病んでしまったのです。…間違った事を正しいと信じてしまう事ほど、大きな悲劇はないと思います。……私も本当に間違っていました。自分は価値のない、駄目な人間なのだと思い込んでいたのです。けれども神様は、聖書を通して、私を高価で尊い者、私を愛していると言ってくださいました。その神様の愛を受け取って、確かなこの方に自分を委ねた時から、私の本当の人生が始まったのだと思っています。本当に神様は、私の目を開いて、はっきりと物が見えるようにしてくださった、正気にしてくださったと思います。自分自身のことすら、ままならなかった私が、一番忘れていたかった事、諦めていた両親の問題に関わり始めました。

つい最近、長く会っていない兄に、父を医者に見せたいので手助けしてほしいと手紙を書きました。兄はそれによって、すぐに実家に足を運んでくれました。7〜8年振りの訪問だったと思います。その事は本当に嬉しかったのですが、兄からは、やはり昔と変わらない父と向かい合うことは、自分にはどうしてもできない、との返事が返ってきました。今のところ、母の理解も兄の協力も、あまり期待できそうにありません。でも、私は父を見捨てたくはない、後戻りはできないと思っています。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」…聖書の言葉で、クリスチャンの友人が励ましてくれました。私は一人ではないと思っていますし、何よりも、イエス様が一緒に、この問題に立ち向かってくださると信じています。父が立ち直る奇跡を願い、家族全体の和解を願って、くじけずに求め続けて行こうと思っています。


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