私たちはアダム系列にあって生まれ、五感により環境の情報をインプットし、世界のモデルを構築し、経験や教育により常識なるものを備えて、いわゆる立派な大人、社会人とされます。これは社会が要求する自分を構成することに他なりません。北朝鮮などではもろにそれが求められ、社会の要求の答えることができないと生命の危険すら生じます。
実は私たちも、大して変わりないのです。アダムの罪の結果、霊が死んだままこの世に生み出された私たちは、自分の身体と魂(思い・感情・意志)のみを用いて、この世をサバイバルしてきました。これがパウロの言う肉(flesh)です(必ずしも肉体のみを指すのではないから注意!)。その過程において私たちはこの世はこんなんものだとか、人間の本質はこうだああだと、アレコレと五感を通して得た情報に基づいて内的なモデルを構成します。これが世界観や人生観だったり、哲学であったり、サイエンスであったりするわけです。もちろんキリスト教などの宗教体系も含まれます。いわゆる、社会系、人文系、自然科学系と学問は分類されているが、それらはそれぞれ社会の、人間の、自然のモデルであり、マトリックスです。
これを行うのが魂の主要な機能であるマインド(知性)です。このときに、外部情報に歪みやノイズが入り込むと内的モデルも歪みます。そこで環境や対人関係において齟齬が生じ、問題を引き起こすのです。これが人格障害の成因モデルです。かくして人はそれぞれの価値観や人生観に基づいて判断し、意思決定すると、行動として表出されます。これが認知行動科学的モデルです。ただし世のサイエンスでは、霊的次元は考慮されていません。あくまでも魂(精神)と肉体の相互作用として人間を理解するのみです。これに基づく医学を精神身体医学(Psycho-Somatic Medicine)と言って、日本では心療内科として知られています。
かくして私たちは、特に戦後GHQにより与えられた価値観を基にした社会、つまりマトリックスの中で、そのプロトコルに従って生きているのです。自由競争、適者生存、その結果富の偏在化は著しく、世界の70%の富を63人の富豪が占有しています。要するにこの地球なる環境がすでに人類のマインドが生み出したマトリックスであり(ここにサタンが大きく関わります)、この地的マトリックスに自らを適応させ、そのプロトコルによって生きることが生存の術(すべ)となるのです。こうして私たちの肉(flesh)が構成されてきました。このような世のマトリックスは要塞と言われます。
この地的マトリックスに、ある時、神が肉体を取って介入されました。ジーザスは神のロゴスであり、神のサブスタンス(ヘブル1:3)、その存在が五感の物理領域に肉体を得て現れ出た神です。これが敬虔(邦語では意味不明だが、Godliness;eusebeia)の奥義と言われます(1テモテ3:16)。ジーザスは地的マトリックスの中で、天のマトリックスのプロトコルによる生き方=信仰(フェイス)=をデモンストレーションされました。天を裂いて、神の国を地的マトリックスに介入させたのです(マルコ1:10)。ある意味、バイオレントです。それ以降神の国は激しく襲われているのです(マタイ11:12)。
今や、フェイスとは願うサブスタンス、見えない事柄の立証である。-ヘブル11:1(私訳)
つまりフェイスとは天的サブスタンス(=実体・権利証・土台の意)を得て、五感の領域に立証(=現出)することです。これは地的マトリックスと真っ向対立します。ゆえにフェイスを自由に使うためには、第一にフェイスに覚醒すること;次に地的マトリックスに飼い慣らされているマインドの再構成が必要なのです。そもそも地的マトリックスは神の霊から切り離された魂のマインドが、空中の権を持つあの者の示唆に基づいて産出したものとも言えます(エペソ2:2)。ゆえに一度それらが融解し、改めて天のパタンに従って再構成される必要があるのです。これが霊的再構成、原語ではメタモルフォーシス(=トランスフォーメーション)です。その意味は昆虫の変態です。毛虫は蛹になり、蛹の中では神経系以外は一度ドロドロに溶けて、改めてあの蝶の形が再構成されるのです。
私たちのうちにおいても同じことが行われます。アダムにあって獲得されたものが一度溶かされ、時には砕かれ(=アダム系の死)、改めてキリストにあるものが形成されるのです(=キリスト系の復活 )。こうして新陳代謝的に古いものが新しいものにより書き換えられます(⇒死と復活の原則)。これがなされるほどに、われわれは自分の置かれた状況や事態を、自分のマインドによる評価ではなく、キリストのマインドによる評価によって見るようになるのです。われわれはすでにキリストのマインドを得ているのであり(1コリント2:16)、それに覚醒するとき、キリストのマインドが活性化されて、キリストの思考パタンが私たちの魂のうちで再現するのです。そしてキリストのマインドが機能するとき、神のフェイスが働きます(マルコ11:22、ここの原語は「神のフェイスを持て」です)。そしてフェイスは神の国のサブスタンスをこの地的マトリックスの中に現出させるのです。キリストは決して絶望したり、行き詰ったりすることはありません。フェイスは神の無尽蔵の資源をこの地的マトリックスに現出させるのです。かくして神の国のマトリックスに生きる人から見るならば、地的マトリックスの中で自分の資源だけでサバイバルしている人は、あたかも日本から見る北朝鮮人民のように見えるのです。なぜ、フェイスにより自由な領域に出て、神の資源で生きることをしないのであろうか、と。
さていざ脱北しても人々は日本で生きることに相当の困難を覚えるでしょう。それはマインドが"北"の形に構成されているからです。これが日本のプロトコルで生きるように再構成されるプロセスはけっこう苦しみがあるものと推察されます。同じことがクリスチャンにも起きるのです。神の国のリアリティーに生きることは、これまでの魂の形を否む必要があります。それはある種の自己否定を意味し、肉にとっては必ずしも安楽な事ではありません。これが十字架の働きです(ルカ9:23−24)。しかし脱北者が"北"のマインドセットに閉じ籠るのであれば、彼には将来はありません。同じことがクリスチャンにも言えます。地的マトリックスのマインドセットから自ら解放される必要があるのです! 自らそれを否み、捨て去るならば、新しいマインドセットを得るのです。それはキリストのマインドから生み出されます。ゆえに
わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ(2コリント10:4−5)
アダム系にあって構築された要塞を破壊せよ! すべての思いを虜にしてキリストに服従させよ! フェイスはこのとき自由に働くのです。そしてキリストがうちに形づくられるのです。
わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられる(メタモルフォー)まで・・・(ガラテヤ4:19)
うちにキリストが形づくられるほどに、キリストのフェイスが働きます。
生きているのはもはやわたしではなく、キリストである。今、肉にあって生きているわたしは、わたしのためにご自身を捧げられた御子の信仰(フェイス)によって生きているのです(ガラテヤ2:20)。
かくしてキリストが私たちの霊から魂へと増殖します。ついにはこの体も栄光の霊の体へと変えられます(1コリント15:52)。この信仰(フェイス)による生き方。この達人になることがわれわれの究極的目的です。なぜならジーザスは約束されました。
よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである(ヨハネ14:12)。
こうして天に御心がなるとおり、地においてもなるのです。かくしてサタンに不法に占有されている地上において神の国が拡大増殖していくのです。