最近の諸事件の霊的病理




医学博士 唐 沢  治


■本稿はリバイバル新聞2000年2月20日号掲載の原稿です。



近年、猟奇的犯罪やカルトがらみの事件が多発している。一見するとこれらは領域を異にするように見えるが、霊的観点からは共通要因を感知し得る。


"この世"のプロトコルの崩壊

バブル崩壊後の社会構造の変化によるかつてのドグマの崩壊・信頼関係の喪失、および"個性の尊重"なる尤もらしい価値観の侵食によるコミュニティーの崩壊などにより、明確な霊的オリエンテーションもない中で人々は心の縁を喪失している。


アイデンティティーの喪失

かつては職業・役職によりアイデンティティーを"見かけ上"担保できたが、現在それも危うくされ、あたかも「らっきょの皮剥き」の様相を呈している。

所謂"人の和"なる標語に見られるように、埋没型の対他的位置関係により自らのアイデンティティーと存在意義を確認してきた日本人にとって、"身の置き処"を失う事はほとんど致命的である。コミュニティーの喪失は直ちにアイデンティティーの喪失を意味する。


ヴァーチャル化と間接化の精神病理

さらにインターネットやゲームで象徴される事象の"ヴァーチャル化"が進行し、特に自我の確立が未熟な若者が仮想現実に接触するチャネルが増え、その内的世界モデルにおける現実と仮想現実の境界線が曖昧になる。この仮想現実に逃避する理由として"間接化の精神病理"、即ちアイデンティティーを喪失した、あるいは喪失する危険に晒される場合、現実との直接的接触により自我が受傷することを避ける心理機制が働く。

神の保護を喪失した人間は外界(特に他者)との接触における受傷から自我を保護するために、様々な自己防衛機制を発達させた。この一つが環境適応であり、自己を外界(フレーム)に適応させて生存を担保する。ところが近年肝心のフレーム自体が崩壊している。よって明確な外界のモデルを構築できず、精神は外界適応の努力において、いわば"アイドリング"する。このためにさらに外界と内界のボーダーが曖昧となり、内的モデルのヴァーチャル化が進行する。

これは一種の受動的態度(投げやり的態度)を招来し、霊的に見ると悪霊の接触を容易に招く。仮想現実の住人には悪霊の提示する"現実"がリアリティティーとなり、それに従う結果、他者には理解不能の猟奇的行動になる。セキュラーな精神病理学者の分析は霊的要因を考慮していない点で極めて不十分である。


自己不全感の屈折した充足(カルトの本質)

また人は心の奥底にある実存的自己不全感・孤独感を補償するために、自分が人生の"主"とし全てを思いのままにマニュピレートしようとする。それは一見快適さと安心感を保証するように思える。これがサタンの誘惑の本質であり、私たちの肉には魅力的に映る。

ある人々は才能に恵まれてこの世でそれを実現する。一方実現できない人々は深刻な自己無力感と対峙せざるを得ない。それを回避あるいは解消すべく、彼らは人々の受容を得て孤立しないことを願う。もちろんこれらの2要素が個人の中であるスペクトルをもって同時に存在する。即ち人は「他者を支配したい」と同時に「他者に受容されたい」というアンビバレンツな葛藤を抱えている。

カルトはまさにこの矛盾を突く。人間の無力感と孤独感を「支配と被支配」という歪んだ役割分担による病理的関係によって補償する営みがカルトである。カルトはこのような深刻な葛藤に起因し、教祖も信者も同一の精神病理を有するため、両者は精神的に非常に強い絆を結ぶ。しかもそれは悪霊が啓発する一種の「霊的共鳴」による結合でもあるため、常軌を逸した病理性を見せる。


結 語

以上の問題の本質的解決は、私たちの魂と霊の創造者に帰り、罪の結果宿命的に抱えた内的空洞を神の霊によって満たすことのみによる。究極のリアリティーは神であり、そのリアリティーの啓示が神の言葉としての聖書である。このリアリティーとの関係性において初めて私たちは真のアイデンティティーを確立し得る。またこのリアリティーに対する信仰によって逃げることなく現実と対峙し得る。


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