青少年の「怒り」と犯罪




医学博士 唐沢治


■本稿は小牧者出版「幸いな人」11月号掲載予定原稿です。



1. はじめに

最近“17歳”をキーワードにする犯罪、しかもその質と程度において従来の枠を逸脱する事件が多発している。社会学者や精神病理学者などの分析は聖書的立場から見ると霊的要因が欠落し、本質に迫りきっていない。聖書は人が霊・魂(いわゆる精神)・体からなると啓示する。医学では病気を体と精神の関係で理解する“精神身体医学”は近年かなり発展したが、依然として霊的要因は無視されている。

しかるに現在はこの霊的要因によるオウムに象徴されるカルト事件や青少年の猟奇的犯罪が多発し、それに対する評価が混乱し対応も立ち遅れている。今回の少年による一連の猟奇的犯罪もいわゆる精神病理・社会学的要因のみでなく、その本質にはカルト問題と同様の霊的要因が潜み、犯罪形態が集団レベルから個人レベルに移行しているに過ぎない。


2. 犯罪を生む土壌(必要条件)

これらの少年たちのプロファイルを見ると家庭での父親の存在が希薄であるケースが多い。一般に男児は父親との、女児は母親との葛藤と同一視によって、生き方のプロトコル(手順・約束)や自己のアイデンティティーを確立する。ゆえに人生のモデルとしての父親の存在が希薄であることと近年の犯罪が男子によることとは無関係ではない。

従来の青少年の古典的非行問題は、彼らの価値観や生き方の内発的な構成を待つことなく、学校や社会が一方的に押し付けることに対する単純な反発であった。しかし90年代に入り、その社会や規範自体が崩壊しつつある中で、外界適応のための世界観や生き方の内発的構成が困難になった。つまり“世の中はこんな具合にできているから、こうすればよい”とする価値観と判断基準の体系が崩れている。すると外界適応という自我の最も基本的な機能がアイドリング(空転)することになり、自我はその精神的エネルギーを向ける対象を喪失し、いきおい内向化する。加えて社会的枠組みの崩壊により“肩書き”などに頼れなくなり、自分が何者かという中核的意識(アイデンティティー)の保証を失って自己不全感に陥る。事実少年たちも日記などで一様に“空気のような自分”とか“透明な存在”といった表現をしている。その結果、些細なことで傷つきやすくなり、それを回避するために、外界との関係を間接化する。

こうして彼らは外的世界と内的世界の乖離により、社会との齟齬を招いてフラストレーションに陥り、彼らの目から見て自分を拒否した社会に対する怒りとさらなる自閉的傾向を強めるという悪循環に陥り、内部に屈折した精神的エネルギーを蓄積(カセクト)していく。実際、最近増加している“引きこもり”に象徴される自ら外界から退いた若者や、何を考えているの分からない印象を醸し出している異常とも言えず正常とも言えない“境界性パーソナリティー”の若者が増加している。一説では彼らは100万人いると推計されているが、しかしそれらの若者すべてが犯罪に至るのではなく、さらに深い要因が潜んでいる。


3. 犯罪への直接的誘因(十分条件)

2.のメカニズムによって、彼らの精神は空回りするうちに疲弊し、無力感を覚える中で受動性に陥る。実はこの受動性こそサタンや悪霊の接触のための格好の培地を提供する。霊的要因を考慮しないセキュラーな科学は認めないが、聖書ではサタンとか悪霊という霊的存在を明確に啓示しており、私たちは霊的世界から免疫されていない。

霊的な彼らも独自のパーソナリティーを持ち、しかも自分の思いなどを私たちの思いの内に投影できる。実際、自分のうちに浮かぶ様々な映像や考えに困惑を覚えた経験は誰にもある。敵による罪への誘い、すなわち誘惑はこのようになされる。事実、少年たちも一様に「やっちまえば楽になれる」などの“声”を事件以前に聞いていることが報告されているが、精神科医による鑑定では精神分裂病の幻聴や幻覚とは診断されていない。彼らの聞いた“声”の正体は霊的なものである。

神と人の共通の敵から由来する考えや映像はあらゆる不潔や汚れ、悪意と欺瞞、また恐怖や恐れに彩られ、私たちもそれらに恒常的に曝されていると、私たちの魂もその条件付けを受ける。加えて最近のパソコンゲームやインターネットの普及によって、その妄想を映像化しシミュレーションし得るため、それらはさらに強化され、精神的エネルギーはますます内向化する形でカセクトされる。実際、少年たちは事件以前にゲームやネットに深く“はまって”いる。そしてついに臨界点を超えると些細な外的要因をトリガーとして、蓄積されたエネルギーが破滅的な形で一気に解消される。


4. 今後の展望と対応

私はこの種の事件は今後も多発し、しかもその質と程度および了解不能性においてさらに悪化すると見ている。日本は霊的にあまりにもナイーブであり、テレビやゲームでも占い・ヘビメタ・オカルト・セックス・バイオレンスなどが何らの検閲も受けずに提供され、青少年もまったくの無防備な状態でその影響にさらされている。書店でも新興宗教の書籍はうずたかく平積みにされる一方、聖書に基づいた真の霊的知識は封印されたままである。

日本はその霊的無知により、すでにあらゆる分野で霊的に侵食されているため、唯一の希望は社会制度や教育の改革ではなく、イエス・キリストの福音にある。永遠の命による個人レベルでの霊・魂・体の全人格的な癒しとともに、精神的エネルギーの配分と解消を御霊のコントロールのもとにおき、聖書の啓示する究極的リアリティーに基づいた霊的な新しいパラダイム(世界観の指導原理)を確立する必要がある。

クリスチャンである私たちとしては聖書に基づいた霊的知識を普及させ、霊的存在としての神・人・サタンの三者関係における人の真実のあり方を提示し、霊的要因を考慮した自己のアイデンティティーと生き方のプロトコルを提示する責任がある。要するにますます御言葉を語る必要がある時代なのだ。


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