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院長の暴走?

わが故郷の諏訪マタニティクリニックの根津医師が、子宮のない女性のために、代理出産をするボランティアを募集とのこと(→記事)この先生は以前にも多胎児を間引きする処置で物議をかもした。

テレビで涙ながらに会見する様子を見ていたが、これはある面医師が陥る危険性の典型のような感じがする。つまり個別の患者に入れ込んでしまうこと。これで患者との距離感を見失って、暴走することがある。前にも書いたが、数年前に末期の患者さんに筋弛緩剤を投与して刑事被告人になった美人女医の場合も同じだ。また病気腎臓移植で問題となった医師の場合も同様。自分は医者だから目の前に苦しんでいる患者さんがいたら何かしてあげないわけには行かない、と主張される。

患者にとっては彼らはまさに"理想のメシア"なのだ。これはカウンセラーなども同じリスクを背負っているが、とても危険な心理状態と考える。距離感の喪失。昨年ホテルから飛び降りた牧師なども同じだろう。投げ落とした女性との距離感を失っている。

患者であれ、クリスチャンであれ、またアイドルの追っかけであれ、とにかく自分の内的願望を投影し得る対象、またそれを引き受けてくれて、代償満足を与えてくれる対象を熱望しているのだ。これに応えることができる医師や牧師は大衆から多大な人気を獲得する。いわゆるアイドルとなる。しかし距離感を保ち、その願望に応えない者は大衆の人気は得ないが、リスクを背負うこともない。この人気とリスクのトレードオフの関係のどこに自分の位置付けをするか、これで医師患者関係あるいは牧師信徒関係が決定する。

で、私はどうか―見てのとおり、誰にも拘束されず自由に生きていたいので、愛のない牧者(私はニッポンキリスト教公認の牧師などではないのだ)としてかなり距離感を取っている次第(笑)。前にどなたが引用したみことば:

盲人が盲人の手引きをすればふたりとも穴に落ちる

は病理的人間関係のあり方を指摘するまことに深い真理なのだ。ニッポンキリスト教のコワサも1%の中で互いの距離感を喪失しているからに他ならないわけで、先に指摘した先鋭化の病理である。(かと言って、誰もがみなタトゥーを入れてアーサー・ホーランドになるわけにもいかないであろうから、自分の居場所を見つけるのが大変でしょうね、この業界。彼もアンチ的先鋭化なわけ、実は。)

Commented by ICHIRO 2007年04月13日(金)14:47

こちらもかなり先鋭化しているようです。
信仰あまって舌を切って神に捧げた人です。
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081176370002.html

Commented by Sky URL2007年04月14日(土)18:50

>テレビで涙ながらに会見する様子を見ていたが、これはある面医師が陥る危険性の典型のような感じがする。つまり個別の患者に入れ込んでしまうこと。
>数年前に末期の患者さんに筋弛緩剤を投与して刑事被告人になった美人女医の場合も同じだ。
>また病気腎臓移植で問題となった医師の場合も同様。

なるほど、3つのケースの精神病理的な解釈、たいへん参考になりました。(今はあるのかもしれませんが)医学部にも「医師−患者(さま?)間のコミュニケーションのとりかた」というような授業も必要かもしれませんね。

>この人気とリスクのトレードオフの関係のどこに自分の位置付けをするか、これで医師患者関係…が決定する。

実は、以前、似たようなことを考えていたことがありますが・・・この文章を読ませて頂き、考え方が整理できたように思いました。感謝します。

Commented by Luke 2007年04月14日(土)20:30

福祉の現場などで働く人もそうですが、しばしば自分の内的葛藤をクライエントに投影して、ある種の同一視をしてしまうのですね。自己憐憫の投影と言うか。これで「二人だけの世界」ができてしまって、周囲とズレるわけです。牧師がカウンセリング場面で女性に手を出してしまうなどの病理も同じ要素があると思います。