* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
女児が頭に重傷を負って発見された事件で、24歳の女性看護師が逮捕された(→記事)。精神科通院歴があるらしいが、どうも最近この手の人たちによる犯罪が多発している。で、ここで問題となるが表題の二つの関係。つまり社会のリスクを低くすると患者の人権が制限され、患者の人権を配慮すると社会のリスクが高くなる。つまり互いにトレードオフの関係にあるわけ。
現在の精神保健福祉法などでは患者の人権に相当配慮がなされており、保護措置入院なども資格を持つ医師2名の同意がないとできない。かくして精神科を開業する義兄の言葉、「世の中、患者さんがあっちこっちにフラフラと野放しで歩いている・・・」−これが実情なのだ。キリスト教界にもこの手の人々が寄って来る。彼らはこちらがやさしい顔を見せているうちは大人しいが、苦言などを呈したりすると、たちまち豹変する。その変わり様には実に驚くほど。
しかも最近ではこういった人々がネットを徘徊して自由な自己主張が可能となっている。またこうした人はすでに述べた様に病理を共有しフォリ・ア・ドゥ化し、ひとつの勢力すら持つようになる。こうして互いの妄想を膨らませ、屈折した自己像を肥大化する。しかし前から指摘しているが、こう言った人々とはけっしてガチンコしてはならない。それはきわめて危険。その病的な感情をかわすか、こちらが折れること。
しかしながらこれはこちらが大人であればの話である。彼らの病理性が弱い女児などに向かうことは、社会の防衛システムとして何とかならないものか。しばしば「人権派」と言う単語は十分に言霊あるいはミームとして社会にマインドウイルスを蔓延させるのだ。そしてそれは弱いところで発病している。
7月9日にゆりかもめの車中で塩酸をまいた35歳アルバイトは「自分は心身障害者の代弁者である」とする犯行声明文までも用意していたようだ。が、何のことはない仕事を転々とし、やはり通院歴のある者だったのこと。
最近は芥川賞の候補作も駄作ばかりだそうで、しかもビョウキの人の物語ばかりだとか。今年の受賞作品も、私に文学読解力がないためであろうか、何が言いたいのかよく分からないのだ。ニッポンキリスト教ばかりでなく、社会全体にビョウキがその表層を覆ってしまっている感じがする。
近年いろいろ驚くような事件が出ている。人の心の闇、悪の思いが理性で、制御できなくなっているのか、または情報がすぐ日本中に伝わるから、多いのか
なんとも悲しい。科学、文化は進んできているようだが、人の心は昔から進歩していないようにおもう。
私は、ささやかであるが、静かに主の愛が流れるようにいのろうとおもう。
またうつ病の母親が娘を殺しましたね。
公務員の飲酒運転もあちこちで、、、。
どうも私も気が滅入ってしまいます。