* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
BBSで正教と福音派の対話をご紹介いただきまして、私もざっと目を通してみました。とても面白かったのですが、困ったことは、ICHIROさんも言っておられますが、用語がよく分からない。「奥義」を「機密」としていたり、「聖霊」を「聖神」としていたり、人名も発音が相当に違っています。
まあ、それらのテクニカルな部分はおいといても、自分たちは使徒直伝の正統な教会(オーソドクス)であり、福音派は1500年以降に出たものであって、初めから存在していなかったではないか、と。さらには、私たちから見るとカトリックとどこが違うのかもよく分かりませんが(聖霊の発出処が問題らしいですが)、カトリックは邪教的なものを入れて異端化していると。これは逆も言えるわけでして、正教のいわゆる聖伝なるものが何なのか、私たちには異物混入と感じられて、カトリックとあまり変わりないではないかと思えてしまうわけです。
BBSにも書きましたが、一言でまとめれば、カトリックは「自分たちはもっとも普遍の教会である」と、正教は「自分たちはもっとも使徒伝承の教会である」とし、福音派は「自分たちはもっとも聖書信仰の教会である」とするわけで、さらに聖霊派が出てきて、「自分たちは聖霊を知っている教会である」とし、これがまた異言をめぐってペンテコステとカリスマがあるわけです。さらに再建主義なるものが出てきてモーセ律法で教会を再建すると、さらにそれぞれの中は細かく分かれ、互いに相手を異端・カルトとレッテルを張り合っているわけで・・・。
私などもカルト教祖にされたり、ヒューマニストであってクリスチャンではないと断罪されたり、異端だとのラベルを貼られたりと、ニッポンキリスト教と関わってからと言うもの、目が点になるめくるめくような経験をたくさんすることができたわけですが(汗)、改めて、いやあ、一言、何なの、キリスト教界って?
主は言われたはずです:
わたしは、もはや世にはいません。・・・わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。・・・父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。
世が神を知ることは、しるし・不思議でも、立派な"油注ぎの器"でもなく、ひとつであることによると書いてあるのですが・・・。それは教義や実行の一致ではありません。いのちを知ることです。なにぶん私などは悲観主義ですから、クリスチャンメディアなどが"リバイバル"の音頭を取ったり、アメリカあたりの立派な"預言者"たちが"大リバイバル"のラッパを吹けば吹くほど、遠ざかりたくなります。彼らは果たして何を求めているわけ?
聖書はいのちの書ですが、文字で触れるとキリストの体をバラバラにするもののようです。霊は人を生かし、文字は殺す、とあるとおりです。私的にはキリスト教界を離れて、この世で主と静かに交わることにしましょう。