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時代(アイオーン)を見抜く眼
投稿日 | : 2006/01/15 12:19 |
投稿者 | : Luke |
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Max&Sheilaの「パーパス・ドリヴン」に対する警鐘を紹介したところ、山谷氏サイドからの反応をいただき、ディスカッションが進んだところ、ひとつの認識を共有できた。これは私がこれまでにも何度も警鐘を発していたことであるが、明確に「アイオーン」の働き方のメカニズムとして、そして米国および日本社会の今後と、その中における私たちの生き方を決定する情報として重要であると感じますので、こちらに採録しておきます。なお、山谷氏の論考は
・再建主義ウォッチング掲示板
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=makotoyamaya-lj
の1083以降をご参照下さい。私のBlogとサイマルテイナスに進行しています。
トレードオフの関係
投稿日 | : 2006/01/17 15:30 |
投稿者 | : Luke |
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私は政治とか思想はまったく素人でして、こういった国家の問題なども人間の心の病理を手がかりにしたり、単純な変数を抽出してなるべくシンプルなモデルを用いて考えいくわけです。国家と個人の関係としては、
国家← 納税 ―個人
国家―サービス →個人
のGIVE&TAKEです(いや、違うか。国家は個人の尊厳ある生活を保証すべきだったが、単純化しておきます)。個人は自己責任で自己の生存を担保する領域と国家に信任する領域があります。そこで−
1)自己責任をどこまで認めるか:自己責任と依存性はトレードオフの関係にあります。
自己責任 弱・・・中・・・強
(自立性)
国家負担 大・・・中・・・弱
(依存性)
国家規模 大・・・中・・・弱
(税負担) △
これを左の極限設定すると共産主義(怠け者の世界)、右の極限に設定するとリバータリアニズム(ギンギンの生存自由競争社会)になります。私は極右ではないですね^^
2)税の意味づけ:現財政論では国家運営費の意味合いと財の再配分の意味合いがあります。要するに収入大の者からより多くまきあげ、少ない者へと還流するわけですね。これが平等だと。もし運営費の意味だけならば一律でいいわけです。要するに国家の加入費(年会費)ですから。
私からすると収入のない者(もちろんハンディキャップの人は別です)もある者も同じサービスを受けるのに、なぜなの?でしたね。特に国保などは満額で年間55万とか取られましたから、病気もしない者の払ったこの金で仕事をしない病気の者が益を得ているわけだと考えるとこれはもう・・・だったわけ。
ここで感じたことは納税を財の再配分ととらえるならば、多く払った者はよりサービスを受けることができるようにして欲しいわけです。この意味で税負担による年金は賛成です。
Re: 時代(アイオーン)を見抜く眼
投稿日 | : 2006/01/16 23:00 |
投稿者 | : Luke |
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これは難しいご質問ですね。私のうちにアンビバレンツな要素があるわけです。で、彼が主張する国家モデルはかなり私のモデルと近いのです(もちろんある臨界点を超えるとついていけませんが、笑)。つまり個人の自立と自己責任を伴う自由、機会均等、敗者復活の可能性、成功報酬格差容認、高所得者税率の低減、老後年金の自己管理・・・。税率を1/10に限定せよとか、国防の代わりにミリシア(自家武装)でいけとか言いませんが、かつて社会負担が年間400-500万取られた時には、勤労意欲を喪失しました。今のニッポンは生かさず殺さずだなと真に感じましたよ。、
また自分の腕一本でやっていましたから、すべてを自己管理する訓練を自分で課さないと人生が成り立たなかったわけです。かくして私は再建主義的社会ダーウィン論的リバータリアニズムを15年近く身をもって経験したわけです。あの荒野に比べると給料・ボーナスをいただける現状は天国かも知れません。よって当時の屈折した感情の残滓のためかも知れません(今のニートなど見ていると援助するどころか甘えるな!とぶん殴りたくなります←虐待牧師だ〜)。要するに適者生存(社会ダーウィン論)、<自分のアイデンティティ=金をいくら稼げるか>がすべてでしたから。ブラック・ジャック・モデルとも言える。31歳で5,300万の借金を抱えましたしね。その頃将来の日本像を描いたのですが、それがまさに的中してきています。
こういった人生設計をしているとリバータリアニズム・モデルに自動的になるのです。まあ、<ホステスの国家モデル>でしょうか(笑)。富井氏も似た経歴を持っていますから、多分その辺が共鳴しているのでしょう。ただし、私は幸い信仰では再建主義はとてもとれませんね。今回これほどの本質的違いを見てしまいましたし。国家モデルの構築の仕方は聖書解釈から切り離しているわけです。彼らはそれがまさに重なるわけで、モーセ律法準拠国家モデル。それが山谷氏が指摘されたように、社会ダーウィン論的リバータリアニズム・モデルなってしまうのが何とも自己撞着的です。
Re: 二分化社会の病理
投稿日 | : 2006/01/15 22:46 |
投稿者 | : イザヤ・ベン・ハー |
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質問ですが、ルークさんはここで富井氏と議論されて、再建主義の御言葉からの逸脱を論証されたわけですが、それでも富井氏の言われることに賛意を示されるとはどういうわけなのでしょうか?富井さんはルークさんのことを異端とされ、クリスチャンではないとまで言っているのですけど、少し理解に苦しみますが。
エクレシアとキリスト教界
投稿日 | : 2006/01/15 14:51 |
投稿者 | : Luke |
参照先 | : |
キリストの体であるエクレシアの実質といわゆる○○・キリスト教界の関係と変遷についてシェマティクにまとめました。
http://www.kingdomfellowship.com/cgi-bin/blog/upfile/1355-1.jpg
Re: 巨大なフェイクの時代
投稿日 | : 2006/01/15 12:25 |
投稿者 | : Luke |
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私は以前から、今後において真理を妨害するのはキリスト教界自体であると指摘してきました。山谷氏の言われるように、ワーグナーらの類キリスト教再建主義思想によって動かされたメガチャーチがアイオーンの表現なわけです。そして彼らがリバータリアニズム(再建主義的二分化)社会をもらし得る。つまり私たちは何に対峙しているわけでしょうか?
昔は敵をアイデンティファイすることは単純でした。ローマ皇帝であり、ドイツ第三帝国であり、共産主義であったわけです。彼らは明らかに信仰の「外」にあると見えたのです。ところが現代の敵は・・・。
罠は非常に巧妙に仕掛けられています。「リバイバル音頭」のニッポンキリスト教の節穴的眼ではまず見抜けないでしょう。ずっぽりハマリ、はまっていることにすら気がつかないでしょう。
Re: 巨大なフェイクの時代
投稿日 | : 2006/01/15 12:24 |
投稿者 | : 外科医 |
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再建主義ウォッチング掲示板で、皮肉を込めてメガチャーチの画像を貼ってきましたが、ルーク師もメガチャーチに?を附しておられていらっしゃるのを拝読して、何だかほっとしました.
巨大なフェイクの時代
投稿日 | : 2006/01/15 12:23 |
投稿者 | : Luke |
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われわれは何か巨大なフェイクを見せられているのかも知れません。アメリカの政治・経済もメガチャーチなどの礼拝も同じものを感じます。黙示録のバビロンには二種類があります。宗教的バビロンと商業的バビロン。
共にイエスのご人格とは乖離したものです。イエスはメガチャーチをご自身の栄光と感じておられるでしょうか?言うまでもありませんね。しかし今後多くのクリスチャンが欺かれるでしょう。否、大多数といえるかも知れません。ニッポンキリスト教に現象的な「リバイバル」が起きるすれば、それは間違いなくフェイクです。欺かれない者は幸いです。
欺かれない鍵はフィラルデルフィアの教会に対する主の言葉にあります。
二分化社会の病理
投稿日 | : 2006/01/15 12:35 |
投稿者 | : Luke |
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実を申しますと、私自身は、自分の身の預け処を藩から会社に変えただけの、明治維新以降の「一生面倒を見てもらう代わりに滅私奉公する」式の日本のあり方はあまり好きではないのです。勝ち組と負け組みが明確に分けられ、努力した者には十分な報酬と地位を与え、格差を設けるべきと思っているのですね。
今の小学校では走ってもお手てつないでゴールだそうです。一言、あほくさ。できるヤツを潰すのが公教育の現状。私は潰されてたまるかと、そこから抜け出るために努力したわけです。ただし、機会は平等。どんなに貧しくとも、「むしろバカとブスこそは東大へ行け!」の桜木の台詞に燃える方なのです。
おいおい、何だか富井氏的ノリになってきましたが、事実彼の主張にはかなり共感しているのです。今のニッポンキリスト教は負け犬であることが当たり前みたいな感じ。病者のためにキリストは来られた、病者であることこそ幸いであり、教会は病者を受け入れ、大切に省み、保護するべきだ。で、疲れ果てる先生たちが多いこと。あのですね、病者はキチンと医師にかかるべきなのです。
要するに言いたいことは、前から言っているとおり、現在の教会は倒錯しているのです。かくして富井氏は再建主義こそ教会再生のための唯一の真理であるとなったわけです。そしてエリート意識を秘めた人にフィットしますね。私にもフィットしますから^^
以前にも述べたことがありますが、これからの日本のあり方を予想するに、社会は多分リバータリアニズム的に進むでしょう。要するに適者生存で、勝ち負けが明確化する。で、教界にはそこから落ちた人々が難民となって流れ込むでしょう。しかし養うことができない。ヒューマニズムの砂糖まぶしで、教界はフラストレーションのはけ口と化して混乱するでしょう。
さらにもっと深刻な問題は、勝ち負けの判定をされることを避けて、すでに400万のフリーター、80万のニートと言う層があることです。彼らを教育するために国が数百億を使って、彼らに学んでいただき、働いていただくようにする。ここにも倒錯現象が起きています。
しかしサイエンティストとしての私から冷徹な法則を申し上げるならば、会社において真に仕事をするのは全体の20%の人。彼らが80%の大事な仕事をこなしている事実。日本の個人資産が1300兆あると言っても、その80%を20%が占める。(実はその60%を富裕な老人層が占めている。)この「8:2」の統計法則をパレートの法則と言う。これも前に言いましたね。
で、問題は昭和までの日本であれば、あまり役に立たない80%の人を食べさせる緩衝領域があったのですが、これからはこういった無駄な領域はカットされていく。分かります?再建主義に中間領域がないのと同じです。しかし組織論の専門家に言わせると、実は何も役に立っていない空気のような80%の人がいないと組織が機能しないことも法則。彼らの存在が20%を生かすのです。要するに組織あるいは国家にはアソビがないと機能しないのです。
これから日本はある種の実験社会へと突入することでしょう。景気も回復。株価も絶好調。見かけは繁栄が戻るでしょう。現に金は余って行き所を探している。しかし精神的・霊的には真空が残ったまま。オウム事件の時、Time誌が、日本の霊的真空に吸い寄せられたと論評していたが、多分、緩衝領域から追い出された人々は宗教や占いやオカルトや秋葉系などのオタクなどの妄想系世界へと逃げるでしょう。科学万能主義とそれにはまりたくない諸々の主義に二分化するのではないでしょうか。ここにもストイケイアが働いているわけですが。
山谷氏がアメリカにはメガチャーチがあるから身の置き所を確保できるが、日本にはそれがないと指摘されていますが、最後の身の預け所として天皇制です。二分化社会で両者とも疲れ果てて、やはり天皇の臣民として生きることが実は日本人にとってもっとも安楽であるとの共同社会幻想が復活する可能性が大きいですね。この時期に男系女系の論争が急がれているのも意味があるかもしれません。天皇こそもっとも大いなる緩衝領域となり得るのかもしれません。
注:リバータリアニズムについて元私の同僚の副島氏のサイトをご参照下さい。アメリカ政治情勢が詳しいです
・副島隆彦の学問道場
http://www.soejima.to/
(ちなみに彼はやや富井氏的パーソナリティかもしれません^^)
見分けの鍵
投稿日 | : 2006/01/15 12:22 |
投稿者 | : Luke |
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いろいろな「風」を見分ける鍵は何かとご質問をいただきました。そうですね、メディアが好んで取り上げるものはたいていよろしくない。なぜ、金が絡むから。そして最も本質は、
・世の霊:自己増長・拡大・主張・ニーズ・評価を受けることや煌びやかを好む
・主の霊:自己が小さくされる・低くされる・軽視される・争わず人々からの拒否無視を喜ぶ
ある方の教会でも「パーパス・ドリヴン」に副牧師主導でどっぷりだそうですが、その方自身は「この2年間ビッシリ学ばせていただいたら、十字架の死と復活がないものに目ざとくなったようです」と証しされています。でも、大変ですね。周りが踊っているのに、自分は踊らないのも・・・。
教えの風のルーツ
投稿日 | : 2006/01/15 12:29 |
投稿者 | : Luke |
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ニッポンキリスト教ががんじがらめのクルシチャンを大量生産することは明らかのようですが、その教えはどこから来るのでしょう?また「パーパス・ドリヴン」などの流行の風はどこから吹いてくるのでしょう。
パウロは言っています:
キリストの充満の〔持つ〕規模に到達し、もはや未成年者ではなく、人間たちのサイコロ遊びまがいの、人を欺き惑わすだけの奸計じみた教えの〔送り出す〕どのような風にも〔挑発されて〕荒波立てたり振り回されたりすることなく、愛にあって真理を語り・・・(岩波訳エペソ4:13,14)
この風のルーツは、エペソ2:2では「アイオーン」と訳され(岩波訳)、人格化された時代の霊であり、天空という権勢領域の支配者に従って、不従順の子らの内に働いている霊(アイオーン)」とあります。ガラテヤ4:3;4:9;コロサイ2:8;2:20では、「世を支配する諸霊(新共同訳;原語ストイケイア)」と訳されています。
つまりこの空中には何か霊的存在があり、彼らが人間にある種の考えのヒントを吹き込むのです。あるいは絶対主権者の神は、温度が原子運動によるにも関わらず、絶対零度でも原子運動を許していますから(論理的には矛盾。不確定性原理により観測の限界)、大脳の不確定性要因によって、何かのアイデアが閃くのかも知れません。前に述べた「間」の病理によって相互作用しているかも知れません。(私たち医学者からすると分裂病者や欝病者の幻覚や妄想が聖霊派のようにすべて悪霊由来とは思いません。大脳生理的要因があります。)
いずれにしろ、私たちの内に生まれたその種は、ここが大切な点ですが、私たちの肉を刺激するのです!十字架と御言葉を経ていない肉にとって気持ちがいいのです(肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢;これが私の言うヒューマニズムです)。この意味で私は「人間的教え」と言っています(新改訳では上の聖句も「この世の幼稚な教え」と訳しています)。つまり人間の責任を無視し得ないのです。かくして肉はふくらみ、論理的肉付けをなし、さらには御言葉の「裏づけ」まで取り付けて、ひとつの確固とした思想体系が構築されます。これが肉の要塞のひとつです(2コリント10:4)。これが風となって時代を動かします。ニッポンキリスト教などはまさに赤子のように吹き回されているでしょう?
では、この空中の権を持つ者たちはどこから生じたのでしょう。これは実は私のカレッジの「スピリチュアル・バイブル・リーディング」と「真理の探究」で詳細に述べていますが、創世記1章を開いて下さい。創造が6日でなされたことが書いてありますが、よ〜く、読んで下さい。第2日目に大空を分けました。他の日ではすべて言われている「神は見て、良しとされた」の句がこの日だけないでしょう?何故でしょう?ここでウォッチマン・ニーと言うよりは、そのルーツのG.H.Pemberは、このときに空中の存在者も解き放たれたのだ、と言います。ではそれまで彼らはどこにいたのでしょう?はい、これから先はカレッジをどうぞ(と宣伝してしまった^^)。
かくしてこれからキリストに充満されていないニッポンキリスト教は、ますますアメリカ産の油注ぎの器や、先生たちの流行の風に吹き回されることでしょう。加えてメディアがヨイショ記事で煽ります。株と同じで、メディアが煽ったらオシマイ。御言葉で啓示されている主の御心は、黙示録3章のフィラデルフィアの教会にあります。ご自分でぜひ声を出してお読み下さい。
見よ、私はお前の前に扉を開いたままにしておいた。それは誰にも閉めることができない。なぜなら、お前は小さな力しかないのに、私の言葉を守り、私の名前を否認しなかったからである(岩波訳)
扉は人がムーヴメントで開くものでもなく、力のあるメガチャーチを打ち立てることでもない。「小さな力」を主は尊んでくださるのです!欺かれてはなりません。
なお、リンクで紹介したMax&Sheilaは何と"Lerning to Spirit-led, Not Purpose Driven"をロゴマークにしてしまいました^^彼らも言っています:福音とは普通の人が偉大な救い主を知ることであり、私たちが偉大になることではないのです!