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たぶんそうじゃないかなと思ってましたが、カトリックの影響であろということで。
僕は新改訳の あのヘブル書12章の箇所をにぎって 苦しい時を歩んでた時期があって、自分にとっての御言葉ですから。 新共同訳の『喜びを捨て』を見て、「え~~!!そりゃないだろう~~」って。(笑 でも、否定はしません。しませんけど。
やはり 『十字架が喜び』と思える、ということ。この不思議さ。 「え!♪なんで十字架が喜びに思えるの!』っていう驚きと。 いや、この十字架をよろこびとしたイエスに目を離さないでいこう、っていう あの感動と。。何と表現したらよいのか。 OH ! JESUS!
>[1] 訂正箇所 目の前に置かれた喜び × ご自分の前に置かれた喜び○ でした。。 |