イエスとは



イエス・キリストほど人によって様々の評価を受けている人物は歴史上ありません。このような人が2000年前のイスラエルにおられたことは歴史的な事実として確認されておりますが、この方が一体誰であるのか、つまりこの方のアイデンティティーについてはきわめて不思議なほどに評価が分かれます。

ある人はイエスを単なる人間であって、ユダヤ人をローマから解放すべく立ち上がったが、その運動半ばにして挫折して、十字架で処刑された革命家であると言いますし、別の人は少し頭がいかれた新興宗教の教祖に過ぎないと言います。酷い例になると、処女が子供を産むことなどはあり得ないから、マリアの不倫の子(私生児)であって、後にマグダラのマリアと結婚したなどの説を唱える人々もおります。

聖書の記述によれば、肉体的には彼は処女マリアに聖霊によって受胎され、彼女から産まれ、33年半の間この地上で人の子として生活されました。そして30歳以降の3年半において公に活動されて、その間に病の癒しなど様々の奇跡をなされ、自分を神の子として宣言し、自分は十字架で殺されるが復活する運命であって、自分を信じる者は罪を赦されて永遠の命を得られるなどの宣言をされました。これらの言葉はあまりにも荒唐無稽であり、律法学者などの偽善を徹底的に暴いたために、彼らから強硬な反対を受け、ついにはローマ人の手によって十字架で処刑されました。しかし3日後には墓からよみがえり、多くの弟子達の前に現れ、その後天に引き上げられたとあります。

霊的には、イエスは神の第二格位の子なる神人性を取られたお方であり、神のロゴス(Logos)、すなわち神を表現し説明する神の言であると啓示されています。目に見えない神を私たちに人類に説明するお方なのです。神と人の二性を持たれた一つの人格をお持ちのユニークな存在です。

この方は地上におられる間、神の愛、聖、義、恵み、憐れみ、慈しみ、癒し、赦し、力などを証しされました。しかしあくまでも人として父なる神への信仰と従順によって生きられ、悪魔やこの世から様々な誘惑と試みを受けたにもかかわらず、を決して犯されませんでした。そして「神の対応は?」で述べたように、神の小羊として私たちの罪を負って十字架で血を流され、死なれ、3日目に復活され、天に上げられたのです。

最初のアダム」は罪を犯して失敗しましたが、イエスは私たちと全く同様に試みや誘惑を受けられたのに、決して罪を犯さずに悪魔に勝利し、「最初のアダム」に象徴される旧創造を十字架で終わらせました。そこでイエスは「最後のアダム」と呼ばれます。また3日目に復活され、神による新創造の初穂となられましたから、旧創造に属する最初のアダムが「第一の人」であるのに対して、新創造の初穂イエスは「第二の人」と呼ばれます。そしてイエスを信じる者もこの「最後のアダム」であり、「第二の人」であるイエスと完全に同一視されて、古い自己に死に、復活にあって新しい自己に生きることができるのです。

以上が聖書で啓示されているイエスという御方のごく簡単なプロフィールです。イエスという名前は、ヘブル語では「神は救い主」という意味になります。この名前自体はごく一般にあったものですが、「ナザレのイエス」とか、「キリスト・イエス」(キリストとは姓ではなく、ある職務のために油を注がれた者=救い主の意味です)という場合、この聖書で啓示されている神-人であるイエスを指します。

人の運命はこの御方のアイデンティティーをどう評価し、この御方にどう触れるかによって大きく変わる事は多くのクリスチャンが証ししております。このユニークな御方との交わりに入った者がクリスチャンであって、したがって私たちは「イエスの証人」と呼ばれています。
(C)唐沢治

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