「ユダヤ人」と日本人

−その霊的深層心理の構造−

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■はじめに



「ユダヤ人」という言葉の響きには独得のものがあります。以前よりずっと気になっていたテーマであるユダヤ人と私たち教会の関わりについて、今回ある掲示板でのやりとりにおいて新たな問題意識を得て、少しまとめてみることにしました。同時にその分析から、ユダヤ人と日本人の類似的病理についてもヒントが得られ、さらに日本人の霊的精神的構造(甘えの構造、アニミズム、天皇制)の分析に関しても手がかりを得ることができました。しばらくシリーズで書いてみたいと思います。教会とイスラエルの関係についての若干神学的な論考については「教会−神のエコノミーの実体化」を参照してください。ここではもっと具体的レベルでの話を展開します。なお、ユダヤ人は私たちをどう見ているかは、「ユダヤ人から見た新約聖書」(ミルトス)が面白いです。


■「ユダヤ人」のアイデンティティ

まずユダヤ人の定義ですが、たとえば現在のイスラエル建国の父、デイビット・ベングリオンは、「我々は3000年間定義なしでユダヤ人として生きてきたし、今後もまた然りである・・・ユダヤ人は宗教共同体とか民族といった定義もあろうが、ユダヤ人という意識だけで充分」としています。つまりその人の信条や行いはユダヤ人の定義には無関係であって、「ユダヤ人である」という意識をもつことだと言う訳です。言い換えると自分がユダヤ的伝統の過去と結びついている意識を共有することに他なりません。

イスラエル帰還法に定められた具体的定義は、「ユダヤ人とはユダヤ人の母親から生まれた人、またはユダヤ教に改宗を認められた人」です。ユダヤ法は父親がユダヤ人でも母親が非ユダヤ人の場合、子供はユダヤ人ではないと定めています。母親がユダヤ人なら、確実にユダヤ人の血は受け継がれていくわけです。(以上「ミルトス」のWebより要約)

さて、こうして見ますと、イスラエル人であってもユダヤ人ではないということが生じ、わけの分からないことになるわけです。聖書ではA.D.70年にローマのタイタスによる攻撃の後、いわゆるユダヤ人は国を追われ、放浪の民となるわけですが、これをディアスポラと言います。約1900年間国がなく、様々の差別や迫害にも関わらず、彼らはユダヤ人として生き延びて、フロイト、アインシュタイン、マルクスなどの天才を輩出し、ついに1948年イスラエル国家の再建を果たし、現在も世界的な富と情報を網羅し、世界に多大な影響を与え、歴史のクロックでもあるわけです。まことに不思議な民です。

聖書ではもともとユダヤ人という民族があったわけではなく、全人類の贖いのためにアブラハムと言う人物を神は選びます。その子供に妾の子イシマエルと正妻の子イサクが生まれます。イサクの子としてヤコブ、その4人の妻たちから、12人の子供、ルベン、シメオン、レヴィ、ユダ、ゼブルン、イサカル、ダン、ガド、アシェル、ナフタリ、ヨセフ、ベニヤミンが生まれます。出エジプトの後カナンの地に定住し、土地の配分においてレビは祭司ですので割り当てがなく、代わりにヨセフの子マナセとエフライムを加えて12部族と数えます。このうちユダとベニヤミンが後の分裂王国の南王国ユダを、残りが北王国イスラエルを構成し、北はBC721年にアッシリアに滅ぼされ、その10部族はいずこかへ連行され歴史の舞台から消えます(注)。南はBC586年バビロンに捕囚として連行されるのですが、この時に異教の地にあって自己のアイデンティティを担保するために排他的選民意識に基づいたユダヤ教と、後にイエスやパウロが対決する宗教的ユダヤ人としての意識的アイデンティティを確立します。

【注】これについてはメシアニック・ジューからはすでに十部族は回復されているという説が出ています(→http://asiamessia.hoops.livedoor.com/lecture/losttribes.htm




■聖書的定義と現代的定義

こうして見ると現代のユダヤ人の定義は母親系列の血統的定義によるユダヤ人と、宗教的定義によるユダヤ教に改宗したユダヤ人という二系列が存在します。一方、神の約束は「アブラハムとその子孫」とに与えられたものであり、聖書的にはユダヤ人とは「アブラハムの子孫」と定義されるわけであり、これは血統的な定義になります。

そこで現代の定義では必ずしもアブラハムの血統的子孫であることは保証されません。もちろん神は全能ですから、どこに12部族の末裔がいるかはご存知ですので、終わりの日にイスラエルの全家を集めることも可能です。しかしここにすでにイスラエルという国家あるいはユダヤ人という集合の内部に自己矛盾的というか、ある種の分裂要因があることを知ることができます。ユダヤ教右翼の一派は、現在のイエスラエル国の成立すら認めていません。現代のイスラエルという国の内外の問題や葛藤は、このような目に見えない部分での自己矛盾あるいは分裂した集合的自我によることが推測できるのです。

また彼らは全人類に神の救いをもたらすために選ばれた民であり、その救い主の雛型である旧約聖書を委ねられた民でありながら、その実体である真の救い主を拒否してしまうと言う、自らの機能(経綸)的アイデンティティと完全に矛盾する行為をしてしまいました。ここに彼らは霊的アイデンティティにおける分裂を抱え込むことになりました。このような矛盾するものが同時に存在することをアンビヴァレンツな状態と言います。要するにユダヤ人は社会的・習俗的あり方においても自我の分裂があり、霊的存在としても自我が分裂しているのです。


■自我の分裂要因

精神分析を創始したフロイト自身もアシュケナジ・ユダヤ人であり、自分がユダヤ人であることに劣等感と優越感で分裂する自我を意識し、その葛藤の中から人間精神のメカニズムを解明すべく、いわゆる精神分析の体系を立てました。彼の論考の中に「トーテムとタブー」という論文があり、この中でユダヤ教の起源とその精神病理について分析しています。もちろん霊的要因はまったく考慮されていませんが、その中で明らかにされた精神病理のダイナミクスは興味深いものです。

自我が分裂するメカニズムとして、真実をうすうす知りつつもそれが今の自我の存在にとって脅威となる場合、その真実を抑圧し、抑圧されて噴出してくるエネルギーを絶えず閉じ込めるための取り繕いをする結果、監視される自我と監視する自我に分裂すると説明されます。例えばレイプなどの被害者は、自分の受けた被害について、その真実に自我が耐え得ない場合、その事実があることを否定しようとしたり、あるいは自分がその時感じた屈辱感や恐怖感を無意識の中へと抑圧します。しかしその感情エネルギーの塊は決して消滅することはなく、絶えず意識の中へと噴出してきます。これを抑えるために、取り繕いを続けるわけですが、不思議なことに加害者と同種の人物に関わり、裏切られ捨てられるという同じような悲劇を繰り返してしまうのです。これを強迫反復といいます。これは自分が虐待されたのは事実でないことや、あるいは自分は屈辱感を感じていないということを証明するために、同じような相手と同じような関係を作ってしまうためです。こうして何度も裏切られ、傷つくことが繰り返されます。本人は意識の上では真実の愛を求めていると思い込んでいるわけです。



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