「ユダヤ人」と日本人

−その霊的深層心理の構造−

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■民族主義とポピュリズム−混迷の時代のしるし-



今日いよいよ混迷の度合いを増している中東情勢やアメリカとイラクの関係、さらに北朝鮮との関係など、ますます目先が見えなくなってきています。その中で教育基本法においても「愛国心」や「忠誠心」に関する条項を盛り込むなどのなにやらきな臭い風も吹くようになっています。ニッポンキリスト教においてすら、一部のカリスマ系の方々の間では、失われたイエスラエルの十部族が日本人のルーツであるとか、あるいはザビエルの来日以前にすでに景教徒であった秦氏が紀元2-300年頃に日本列島に来て、彼らが福音を伝えており、その福音をニッポン人に分かり易く説明するために古事記の神々の形で三位一体の神を解き明かし、例えばアマテラスはイエスのことであるなどの「御説」を唱えているようです。

つまりニッポンにはすでに西洋伝来の西洋文化で毒されたキリスト教以前に、東方的なキリスト教が伝えられており、当時の教会が変形して現在の神社になっているものがあるというわけです。例えば八幡神社などは、YHWH(ヤハヴェ)の神を祭っている神社であり、神道とユダヤ教の類似性などから、日本人のルーツはユダヤ人であり、神の御旨は日本にあるなどの「御説」も出ています。よってニッポンキリスト教は西洋的キリスト教からとやかく言われる筋合いはなく、われわれは独自に神のご計画に参画しているとする主張が本音にあります。これが「日本文化に文脈化された福音」なるものの動機です。

世界的に見ても政治経済の状況が混迷を深める時代には必ずこのような民族主義が台頭し、自分たちは特別の存在であると主張する人々が出るものです。政治においても、伝道においても、ある種のヒーロー的な人々がもてそやされ、人々はそれらのヒーローの周りに集まるようになります。ピーター・タスカ氏が予測するように、民族主義とポピュリズムは今後のキーワードになるでしょう。


■それらの霊的精神病理−希薄なアイデンティティ−

上記の現象は自らのアイデンティティの根拠を目に見える形で担保したいと言う無意識的欲求によるものであって、霊的に言えば、「肉を頼りとする」(ピリピ3:3-5)ことです。先が見えない、何を頼ってよいか分からない、自らのアイデンティティの根拠が希薄である、などの精神的な不安定さがその根底にあります。このような時に、自分は神に選ばれた血統にある民族であり、また一見頼りとなりそうなヒーローの語る成功物語や処世術などをアテにする心理機制なのです。つまり民族主義とポピュリズムの根底には、希薄にして脆弱な充分に確立されていないアイデンティティの問題が本質にあるのです。

クリスチャンとてもも同じです。民族主義的なものやヒーロー的なものに流れる人々は自らの霊的なアイデンティティが希薄です。簡単に言えば拠って立つところの"何か"が欲しいだけなのです。今後クリスチャンもこの辺りがますます問われる時代に入っています。そして多くの人々がこれらの民族主義やポピュリズムに欺かれることでしょう。下手をすると大手を振って神社で柏手を打つクリスチャンが現れるかも知れません。しかるに今日のまことの礼拝は、どこの山とかエルサレムとかではなく、霊と真理によるのです(ヨハネ4:21-23)。まことのシオンは現在私たちの霊にあります。


■中東問題の本質-魂の肥大化−

一部の親イスラエルの人々は現在までユダヤ人が被った迫害や苦難は彼らの責任ではないと主張する方々もいるようです。しかしこれは聖書の真理に真っ向から反します。彼らの苦難は彼らの意思決定によるものです。これらの人々は子供カワイイのママさんの心理と同じで、その魂的愛情のゆえに物の判断がバイアスされています。魂的な愛とか親しみや入れ込みはしばしば真実を歪め、曇らせ、見えなくさせます。彼らがユダヤ人のために労苦していることはひとつのことであり、十分に評価できるものですが、真理は真理であって、特に御言葉にはただ服する必要があります。また一方の反ユダヤ主義に走る人々も同様です。その魂的感情が刺激されているだけなのです。

私から見て親イスラエル側も反ユダヤ主義側も共に現象が起きている舞台が魂の領域に過ぎないのです。同じクリスチャンであっても、一方で盲目的にユダヤ人に入れ込む人々があり、他方でユダヤ人を毛嫌いする人々がいます。どちらの主張も共に魂における、特に感情的な主張であって、よってどちらの主張もよく分からないのです。イスラエルと教会の関係にしても、置換神学にせよ、反置換神学にせよ、その主張するところを理解するのがとても困難であるというのが私の印象です(もしかすると私の日本語読解力がないのかもしれませんが・・・)。

ただ、どちらの側からも彼らの情緒あるいは思い入れだけは確実に伝わってきます。そしてその強度というか温度が高ければ高いほど、議論を共有することはできないであろうことが明白となり、不毛な議論に終始するであろうことも見えてきます。一方は反ユダヤのクリスチャンなどは偽クリスチャンであるとし、他方はユダヤ人が諸悪の根源であるとするわけですから、有益なディスカッションが成立するわけがありません。また一方はマスコミは反ユダヤのヒステリー状態を呈し、その報道はパレスティナ側にバイアスされているとし、他方はイスラエルこそ情報操作をして真実を見えなくしていると主張します。

私が興味を引かれるのは、いずれの側においても、どうしてこのような情緒的反応が先鋭化し、強固になるのだろうかという点です。たとえばジェニンに虐殺があったのかなかったのか、私が言えることは判断するに足りる第一次の情報があまりにも少ないということです。よって私はこの問題ではかなりニュートラルであり、どちらの側に立つ意図もありませんし、どちらが真実を語っているかを判断する目的もありません。ただどちらの側においても、どうしてそこまで彼らが入れ込むのか、その病理に関心があるわけです。


■肥大化した魂の特徴−パラノイド-

十分なる内実を伴っていないで肥大化した魂(自我)はきわめて脆弱であり、見かけは尊大な主張と振る舞いに満ちていますが、内的には臆病さと傷つき易さが特徴です。これが病的になりますと、自分のうちにある敵意などを相手に投影して、相手が自分に敵意をいだいていると錯覚し、被害妄想などを呈してきます。このような精神状態をパラノイドといいます。結局イスラエルもパレスティナもこのパラノイドを互いに増幅しあっているわけです。自分のうちにある敵意や憎悪が強ければ強いほど、相手からの攻撃を恐れるようになります。つまり彼らは互いに鏡に映った自分を見ているわけです。これが現在の中東問題の精神病理的なメカニズムです。

よく親イスラエルの人々はユダヤ人は神の選民であるから、他の民族の人間はその選びに対して嫉妬をいだいて反ユダヤに走ると説明しますが、きわめて浅薄な分析です。聖書が語るところは逆であって、教会を通して彼らが嫉妬を感じ、イエスに立ち返ることを神は願っておられるのです(ローマ11:11)。私がかねてから主張しているとおり、ユダヤ人の選びと教会の選びは異なる次元にあります(詳細はこちらをどうぞ)。この意味で彼らの血統による選びにはクリスチャンは何らの嫉妬を感じる必要はありません。むしろユダヤ人はその教会に対する自らの嫉妬を投影しているのです。これがパラノイドのひとつの兆候です。プライドの高いお嬢さんが、自分が仲間はずれになるのは、周囲の人が自分に嫉妬を感じているからだとして、自らを納得させる心理機制と同じです。根底にはユダヤ人の側のプライドがあるのです。こうして彼らはすべての人に敵対しています(1テサロニケ2:15)。

ここでも先に述べた民族主義に走る精神病理が存在します。つまりユダヤ人にとって排他的選民思想は彼らの脆弱なアイデンティティを担保する唯一の縁なのです。よってあくまでも頑なにその上に自らを建てようとします。周りにはそれは彼らが自ら孤立化していると写ります。こうして彼らの肉は刺激されて、反ユダヤに陥るわけです。ユダヤ人は神の言葉を預かり、救い主を世にもたらうために機能的な選びを得ているにもかかわらず、その当のメシアを否定し拒絶するとという自己のアイデンティティに反する行為を行いました。ここで彼らの良心は真にその過ちを認めるか、あくまでも自己の正当性を主張し続けるかの選択が迫られるわけです。この意味で彼らは「引き裂かれた民」、あるいは「自己矛盾した民」なのです。

この彼ら自身の中における解消されていない葛藤が、あの地の問題を複雑化し、悲惨にしています。このような自己の中にある欺瞞を抱えたままに同じ悲劇を繰り返す精神病理を「強迫反復」と呼びます。ユダヤ人は真に自らの頑なさと過ちを認め、まことのメシアに立ち返るまではその悲劇を反復することでしょう。これは善悪の問題ではなく、心の病理の問題なのです。「引き裂かれた民」−これが現代のユダヤ人の本質です。私は現在のあの地の問題を政治社会あるいは歴史的観点からは決して本質は見えてこないと考えています。なぜなら政治社会も歴史も人の心が生み出すものであるからです。しかし神のご計画はこの人の心に起きていることも用いて実現に至ります。これが神の主権です(詳しくはこちらをどうぞ)。


■ユダヤ人と日本人の類似性と相違性-単相性と二相性-

そして多分に日本人もこの病理を共有しているのです。ただしユダヤ人の場合は単相性であり、自己欺瞞をひたすら覆い隠し続ける努力によって偽りの自我肥大を呈しパラノイド状態を呈しているのに対して、日本は引き裂かれた内的自我と外的自我の相克が入れ替わりに現れる二相性であり、躁とうつを繰り返す患者さんのように、ある時はアメリカべったり、ある時は右翼的色彩が強まると言う波を経験しています(詳しくはこちらをどうぞ)。

現在、政治状況もニッポンキリスト教もこの内的自我が強まりつつある危険な兆候を見せています。これがユダヤ人と日本人の類似性と相違性です。日本はいずれこの外的自我と内的自我の葛藤がきわめて短期の間に繰り返され、いずれ疲弊して分裂病末期のような自我の崩壊と自閉性と感情鈍磨の病状に陥ることでしょう。その意味で中東情勢も日本もこれからしばらくは変動がますます大きくなり、視界が見えなくなることでしょう。頼れるものはただ御言葉のみの時代なのです。そして私たちがなすべきことはただひとつ、ユダヤ人であれ、日本人であれ、彼らに悔い改めを迫り、イエスに立ち返らせることです。教会はこのいのちを得た本質的な選びの路線にある存在であり、その大宣教令の使命を委ねられた唯一の存在なのです!


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