* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
再建主義に関してはすでに十分なほどに判断材料が揃ったと思います。それぞれで判断がなされることと期待いたします。
で、ひとつ確認しておきたいのは、Dr.Lukeもヒューマニズムを批判しているが、富井氏はDr.Lukeをヒューマニズムと批判している、どうなっているのだ、とのご質問を受けました。
これは実に面白い論点でして、「ハシ」と言っても、「端」なのか、「橋」なのか、「箸」なのか・・・と言うことなんです。
再建主義では超民族化・普遍化されたモーセ律法を適用される領域が神の御国であって、教会からこの世へとその適用範囲を広げることが御国の拡大なわけです。現在は法的に千年期であり、新天新地であるから、これが実際的にも全地に成就されるときに、主イエスが再臨されるわけです(ポスト・ミレ)。
つまり彼らからすれば、モーセ律法が適用される領域とされない領域しかなく、適用されていない領域がヒューマニズムに冒されている領域になるわけです。そこでは「生まれつきの価値観」に従うわけで、すると獣姦も犯すと言うわけ・・・(言うべき言葉が見つかりません)。お分かりになります?彼らの踏み絵は、「あなたはモーセ律法を受け入れますか、拒否しますか」なんです。
しかし私の言っているヒューマニズムとは、私の十字架の適用を排した「愛」とか、「赦し」とか、さらには「福音」なのです(主の十字架はすでに成就)。十字架とは、すなわち、死と復活の原則です。「最初のものは肉のもの、後から来るものが霊のもの」(1コリント15:45)。この自己の経験的死を経ていないものがヒューマニズムです。
私の言うメルキゼデク系の律法とはいのちの御霊の法則であり、これに従えば自動的にモーセ律法の基準はまっとうされます(ローマ8:4)。これが再建主義者には分からないのですね。何度もWindowsとMS-DOSの関係で説明したのですが。先入観とは恐るべきものです。この法則は十字架、つまり死と復活の原則に従って働くのです。
ポイントはアダム系いのちから、キリスト系いのちへの乗り換えです。私のいう御国の拡大とは、自己ではなく、キリストのいのちの領域の拡大です。だから昨今の砂糖まぶしの「ありのままのあなたでよい」と言った「福音」に対して、私は警鐘を鳴らしているわけです。ご理解いただけましたでしょうか?
理解できました.十数年前の話で恐縮です.特伝講師(米沢のある牧師)が、イザヤ書53章「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。」を利用して、「傷ついた人格は、他人を傷つけることでしか癒されません.私たちの傷ついた人格は、イエス・キリストを十字架上で傷つけることで癒されるのです.・・・」と騙っていました.そこには罪の贖いとしての、犠牲としての十字架は全く登場しませんでした.ただただ、心理学的なアプローチで、心の満足を得るために、十字架を利用しているだけでした.神の義が満足されるための贖罪としての十字架ではなく、人間の心が満たされるための十字架です.「オイ!オイ!ちょっと待って.」思わず、言いたくなりましたが、私は、黙って特伝会場から立ち去りました.聞くに堪えないメッセージでした.家内も「聞いていて気持ちが悪くなった」と言っていました.
Commented by Luke 2005年11月30日(水)22:27>聞いていて気持ちが悪くなった
人は幸いですね・・・。多くの人は気持ち良くなっちゃうというか、されちゃうわけで、まことのいのちへの道は狭いのです。
富井さんもこの辺で問題意識を持たれて、いのちを見出すのではなく、再建主義に入ってしまったのでしょう。彼の叫びを聞いて(読んで)いると、何だか痛々しく感じますよ。彼のために祈りが必要ですね。