早朝のロボデンに思う −共に生かされている者として−
■今朝の5時半からのロボデン(路傍伝道)の時のことです。福音メッセージと賛美が終わって後の朝食の給食の際、ぼろぼろの汚い服をまとい、ズボンには小水がたれ流しになっている方が目に入りました。階段の手すりにつかまって何か「ウ〜、ウ〜」と言っていましたので、彼に声をかけました。どうも給食の温かい麺を欲しいということのようでした。ぼくは「どうぞあちらへ行って貰って下さいね」と言いますと、彼は手すりにつかまりながら、よろよろとしておりました。この人は何をしているのだとぼくは思いましたが、よく見ていると、どうもそこから動けないのです。彼は手すりにつかまって立っているのがやっとの状態なのです。
■そこでぼくは彼のもとに熱い麺をプラの容器に入れて差し出しました。彼はぼくの目をじっと見つめ、何かを言いたいかのようでしたが、その口から出る音声は判別できません。熱い麺を持ったままよろよろと立っていますので、階段に座らせようとすると、今度は膝が曲がらないのです。麺をこぼしそうになるので、あわてて彼を支えてようやく座らせました。ところが次には割り箸が割れないのです。一生懸命に割ろうとするのですが、割る力さえないようなので、ぼくが代わりに割ってあげました。彼はまた「ウ〜、ウ〜」とぼくの目を見て何かを語ろうとしていますが、どうしても分かりません。何かを訴えようとしているのは分かるのですが、それ以上が分かりません。何ともはがゆい気持ちで、フラストレーションを覚えました。
■ところがその彼がぼくの目を見つめつつ、いきなり握手を求めて来たのです。その手を見ますと、真っ黒で、つめは伸び放題、何が手についているか分からないので、ぼくは一瞬ためらいました。どうしよう、このまましらばっくれて逃げてしまおうか、と心の中は葛藤しています。彼のズボンにはたれ流しの小水の跡があり、その手は何を触って、何で汚染されているか、まったく分かりません。しかし彼はぼくの目をじっと見つめているので、とうとう逃げられなくなり、ぼくは覚悟を決めました。おそるおそる手を伸ばして、彼の手を握りました。ああ、ついに掴んでしまった、と内心の動揺を隠して、彼の目を見つめると、その目は何かを訴えるように、そしてぼくの手を握った彼の手は思いのほかギューっと力強く、ぼくの手に痛みを感じるほどに、握り返して来ました。立つことがやっとの人間にどうしてこのような力があるのか、といぶかしがりながら、ぼくも彼の手を握り返しました。その時、彼の目は満足そうに、またその口からは「ア〜、ア〜」という音声が漏れて来ました。
■そうです、彼はぼくに礼をしたかったのです。彼の目はうれしいそうでした。そして彼は座っているのもようやっとのようにして、今にも横になりそうな格好で麺を口に運び始めました。ところが箸をつかむ手は自由が効かず、何度も麺をこぼしつつ、それでもうまそうに食べていました。もう何日も食べていないかのような感じで、ふ〜、ふ〜、と息をかけつつ、麺を口にこぼしつつもようやく食べています。僕の手には彼に握られたその感触が残っています。手を見ると案の定、まっくろな何か汚物がくっついています。と、いきなり涙がこぼれてきました。彼は僕に礼を言いたくて、言葉が通じないので、手を握るしかなかったのです。その力の感触を思い出すと、なぜか涙が次から次へと流れて来ました。ああ、彼は生きている、彼は言葉は通じないが、心は通じている!ぼろぼろの彼を見て、その時の彼の心を思い、不器用に麺をすすっている姿に、そして彼の手を握ることを躊躇した自分のその時の心を思い出して、彼とかろうじて握手することができたことを、主に感謝するのみでした。(2000.02.26)