寿町に生きることに思う ―サタンの働き方―
■ミッション・ラザロの一員であるAさんのもとに、12月5日午前11時頃、突然伊勢崎署の刑事が訪れ、彼は同署に連行されました。何が何だかわからないまま、いわゆる取調室において、刑事にすごまれ、体をどつかれたりしつつ、自白を強要されました。「お前がやったんだろ、ネタはあがっているんだ、吐け!」という台詞はテレビの刑事ドラマの定番ですが、そのとおりの情景が展開しました。Aさんがいくら無実を主張し、お揃いのミッション・ラザロの名刺を見せても、刑事はあくまでも犯人扱いし続けました。何らの合法的捜査もなされないままに、被害者の主張によって彼の名前があがっていたためでした。
■延々と続いた取調べはついに夜の8時に被害者が直接訪れて、いわゆる面通しが行われました。もちろんAさんではないことが判明しました。その被害者の証言から浮かび上がった真犯人像にAさんは心当たりがありました。3年ほど前まで一緒に仕事をしていた仲間でした。Aさんの供述に基づいて、刑事がその人物を訪ねるとあっけなく御用になりました。その人物がAさんの名前を騙っていたのでした。Aさんは二重に裏切られたのです。Aさんは警察から解放された後、クリスチャンになってから絶っていた酒をついあおってしまったそうです。夜のパトロールの時、彼と出会いました。打ちひしがれている小柄なAさんは、酒を飲んでしまったことに対する罪責感も加わって、ますます小さく見えました。「おれ、飲んじまったよ・・・」、一生懸命に照れ笑いしつつ語るその言葉にAさんの誠実さがにじみ出ていました。
■私の息子もつい最近小学校において、担任教師が精神障害を起こして学級運営が破綻した責任を、一部の中傷的発言に基づいてすべて負いかぶされて、学級懇談会においても小生方の出席のない状態で一方的な"人民裁判"が行われました。自分のことであったり、単なる井戸端会議であれば小生もいちいち首を突っ込みませんが、息子に対して、しかも公開の席で、小学校と言う公的場において、地方公務員である校長や担任教師の指導の下で行われたことである以上、小生も事実関係を明らかにするための文書をクラス関係者に送付し、校長との何度もの話し合いもすべてテープに録音し、校長の当日のメモなども提出させて、提訴の可能性もほのめかしつつ、全面的に対決してきました。校長はよくテレビで出るような典型的な公務員タイプの人物であって、当初はノラリクラリとかわしておりましたが、小生の追及についに事実関係をすべて認め、謝罪文を提出させることができました。一応小生の場合はこのようなある種の自己救済策を取ることができます。
■ラザロのAさんはもう寿町に30年住んでおります。寿町に住むことが何を意味するのか、今回の一件が証明します。いわゆる"世間の目"は常にかようなものです。小生の息子も今回の件である種のレッテルを貼られておりますが、彼は人間の本質を見抜く目を持っておりますので、校長や担任の本質をすでに把握しており、したがって冷静な対応をしております。我が子ながらよくあっけらかんとしておれるなと感心しているほどです。しばしば公立学校なるところは偽善と欺瞞に満ち満ちております。書類と判子のやりくりで外面のみの体裁を取り繕うことのみに躍起になるのがほとんどの校長の第一目標なのです。それは現在の世間の象徴でもあります。しかしその白く塗られた墓の実態があらゆる領域で暴かれてきているのが昨今の世の中です。私はますますこの種の偽善が暴かれるべきであると思いますし、現在はある意味で神の裁きの時であると感じております。
■最近再び小生の予想通りに17歳の犯罪が起こりました。インターネットで爆弾の作り方を研究し、「人を壊してみたかった」という動機でビデオ屋に投げ込んだのです。大人からは理解不能の常軌を逸した行動です。しかし彼の発言によると社会の表向きの価値観が外面だけのものであって、偽善に満ちていることを感じているかのような印象を受けます。多感にして優秀な彼の心はその社会の真実を感知していたのでしょう。しかし彼はそれをどのように処理して良いのか、持て余してしまったのでしょう。ついにその疑問は思春期特有の衝動と合間って、今回の破壊的行動へと彼を追いやったのです。17歳をキーワードにするこの種の犯罪は、ますますその理解不能性と破壊性において増長しつつ多発するものと私は見ております。彼らに人格障害などの異常性を見ることができるのも事実ですが、実は社会そのものが病んでいるからです。ある意味で社会の病のつけを負わされているのが彼らであると言えます。
■Aさんにしても、私の長男にしても、感謝なことは問題の本質を見抜くことができることです。なぜ自分がそのような事態に巻き込まれたのか、またそこで受けた傷をどこへもっていき、どのように処理すべきかを知っているのです。病んでいるこの世に対して正攻法で関われば、必ず攻撃を受けます。小生自身も福音を宣べ伝え、真理を語るほどに、ある種の霊的勢力からの攻撃を受けております。ハレルヤ、しかしこれは私たちが神の側についていることの証左です。ミッション・ラザロも、その意味で公的な立場に立ちつつある段階を迎えて、霊的戦いを含めた次なるステップに踏み込んでいるのです。サタンに占拠されているこの世を神の連合軍として解放する戦闘に従軍し始めたのです。イエスの十字架を掲げつつ、この世を進軍していく決意を新たにした事件でした。(00.12.06)