Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2002.09.29
聖書真理シリーズ
キリストを信じれば天国に入れる、とよくクリスチャンは叫びますが、これは幼稚な教えです。神の国と天の国は違います。神の国は神の主権の及ぶあらゆる時代とあらゆる領域を意味します。天の国は神の国の中の一部を構成し、現在の教会時代と来るべき千年王国の天的な領域を意味します。千年王国はダビデの幕屋の回復であると同時に、教会である私たちキリストのいのちを持っている者たちが天において治めるのです。この時にその報酬を得ることができるかどうかは現在の私たちの行いにかかっています。永遠の救い、すなわち神の国に入ることはただ信仰により、霊が再生されてキリストのいのちを得ることです。報酬を得ること、すなわち天の国に入ることは行い(もちろん信仰に伴う行い)によります。行いの伴わない信仰は死んだものであり、信仰は行いによってまっとうされるのです。この意味で現在の私たちの生活はすべて来るべき日におけるキリストの裁きの座(報酬を決める座)において、どのような報酬を得るかを決定します。今このとき自分を否んで、自分の十字架を負って主に従うことは、来るべき日に報酬を得ることを意味します。今このとき人々からの賞賛を受けてしまえば、その日には何も受けないでしょう。また御名によって預言をし、悪霊を追い出し、しるし不思議をなしても、主はあなたを知らないと言われます。ワザによらず実によって主は判定されます。それはいのちの問題です。隠れたことを見ておられる神の報酬を期待するのであって、人々からの賞賛や評価などは意味のないものです。今この時の苦しみは来るべき日に与る栄光に比べれば取るに足らないのです。前を見つめ、キリストだけを追い求めることです。勝利の鍵はここにあります。 |
1. 神の経綸(ディスペンセーション注)
@ 永遠-時間の始まる以前の永遠
A 父祖-アダムからモーセ以前(律法の入る前):アブラハムに対する約束
B 律法-モーセからキリスト以前(律法による神と人の関係)
C 恵み-キリスト以降の教会時代(恵みによる神と人の関係)
D 王国-千年の至福:地上はイスラエル、天には教会
E 永遠-新天新地:神と人が共に住まう(新エルサレム)
【注】私はいわゆる「ディスペンセーション神学」を唱える者ではありません。イスラエルの選びと教会(エクレシア)の選びは次元が違います。よって十字架以降、イスラエルに教会が取って代わるのではありません。詳細はこちらの論考および聖書の鳥瞰図をどうぞ。
2. 神の国と天の国の関係
@ 神の国:(God’s Kingdom)永遠から永遠まで神の統治の及ぶ全範囲と全領域
A 天の国:天の原語は複数形(The Kingdom of Heavens)、1のCとDの天的領域
3. 救いと報酬の関係
@ 救い:信仰により永遠の命を得、神の国に入ること(ローマ3:27,28、ヨハネ3:5)-霊
の再生→永遠の救いは全うされる at 白い御座の裁き(黙20:11)
A 報酬:行いにより天の国での報いを得ること(マタイ16:27)-信仰に伴う行い(ヤコブ
2:14-26)→永遠の滅びのことではなく、Dをどこで過ごすかの問題(マタイ7:21-23、
22:13、25:30) at キリストの裁きの座(2コリント5:10)
4. 地上の生活や苦難の意味
@ 苦難や貧困は現代における訓練→報酬を得るため(マタイ5章、ローマ8:18)
A 父の御旨を行う(マタイ7:21-23)→良い実を結ぶ(マタイ7:15-20、2ペテロ1:5-11)
B 節制、空を打つ健闘はしない、体を服させる(1コリント9:24-27)
C 来るべき王国の報酬を目指して走る(ピリピ2:12-16、3:12-14)
D 賜物やしるし・不思議ではなく、御霊の実を結ぶこと(ガラテヤ5:22,23)
E 肉の努力によるのではない、御霊に頼ること!!!
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