(注)ある人々は、「神と人が混ざり合って、究極的に人が神化し、神-人になる」と主張しておりますが、これは聖書の啓示ではありません。御言葉は明確に同質の霊を共有して「神と人が共に住む」と語っております。
1.創世記:創造の意図
(1)アダムの創造(創世記2:7)
・体:物質的存在(幕屋・神殿の外庭に相当)⇔ 物理的・体性的感覚の座
・魂:非物質的存在(幕屋・神殿の聖所に相当)⇔ 自己意識の座
・霊:霊的存在(幕屋・神殿の至聖所に相当)⇔ 神意識の座
(2)キーワード:人が一人でいるのはよくない(創2:18)
・エバの誕生:アダムが眠らされている間に彼の脇腹の傷からの骨による=アダムの要素を得ている
(3)罪の結果
・霊の死と命からの隔絶(創世記3:23,24)
・呪い(創世記3:14−19)
(4)御臨在の場
・旧約では神は幕屋・神殿に臨在された(@至聖所)
2.現在:エクレシア時代
(1)エクレシアの意義
・アダムとエバの結婚=キリストとエクレシアの象徴(エペソ5:31,32)
・キリスト=最後のアダム i.e. 旧創造の終結(2コリ5:17)
=第2の人 i.e. 新創造の初穂(1コリ15:20)
・エクレシアの誕生:キリストが眠らせている間に、彼の脇腹の傷からの水と血による(ヨハネ19:34;1ヨハネ5:6)
・神の霊を与えられている(1ヨハネ4:13)=最後のアダムであり第2の人の要素を得ている新しい種族(genos);ニュークリーチャー
(2)神の御旨
・霊に住まわれる⇒いのちを私たちに与えること(ヨハネ10:10)
⇒キリストとの同形化(ロマ8:28;2コリ3:17,18;ガラテヤ4:19)
⇒エバがアダムの骨の骨、肉の肉であるようにエクレシアはキリストの骨の骨、肉の肉
(注)ある人たちはここの同形化について「イエスが神と人の混ざり合った存在であるので、私たちも神と混ざり合って神化し、神-人になることである」と言いますが、これは異端の教えです。神-人はイエスにおいてユニークであり、私たちは神の言(ロゴス)が肉体を取られて人となられた、その人なるイエスと同形化されるのです。
(3)贖いの結果
・罪の赦しと呪いの排除(ガラテヤ3:13)
・命への道を開く(ヨハネ6章、10:9;11:25;14:6;へブル10:20)
(4)御臨在の場
・新約では神は、個々の人の霊(=至聖所)に内住され、さらにキリストの体であるエクレシアに御臨在される。すなわち新約では神は受肉されたキリストの肉において現れた。さらにキリストはいのちを与える霊となられ(1コリント15:45)、個々の人の霊から魂、そして肉体を通して表現される。肉において現れる神、これが敬虔の奥義(1テモテ3:16)。
(注)ギリシャ語の"eusebeia"は敬虔とか信心と訳されておりますが、一般の日常語として理解してはなりません。御言葉は御言葉で定義すること。