Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2002.10.20
聖書真理シリーズ
聖霊はイエスの霊であり、イエスの死と復活を証しされます。御霊は復活のパワーを私たちに届け、復活によっていのちを与える霊となったキリストを私たちのうちに生かしてくださいます。キリストは肉に拠ればダビデの子孫、神性に拠れば永遠の神の独り子であったのですが、死と復活により人性においても神の子とされ、初穂にして長子となられました。私たちもその栄光かされたキリストの霊である御霊を受けて、神の子とされ、キリストに続く者となったのです。神は第一のものは拒否されます。死と復活を経た者だけが神に認められ、神は受け入れるのです。私たちもキリストの十字架の死と復活に与る時にはじめて神によって受け入れられ、神によって認知されるのです。私たちは御霊によってキリストの体にバプテスマされ、キリストといのちによる有機的結合に与っています。キリストとは「油塗られた者」の意味です。キリストこそが油注ぎを受けた方です。私たちがキリストの体にとどまり、体の意識を持つのであれば、その頭なるキリストに注がれた油は自動的にたれてきて、私たちも油塗られるのです。個人が勝手に油そそぎを受けるのではなく、すでに注がれている油が塗られるのです。キリストの頭首権に服し、体の交わりに与れば与るほど、私たちは油に満ちるでしょう。これは努力やもがきの問題ではなく、安息することに鍵があります。体に属することの特権なのです! |
1. キリストの復活と御霊
@ 神は第一のものは拒否される(1コリント15:46)
A 十字架の必要性(ヨハネ12:24)
B 復活によって完成される(ローマ1:4、使徒13:33、ローマ8:29)
→御子は神性においては永遠に神の独り子であった(ヨハネ1:18、3:16)、受肉と復活を
通して人性において神の初子となった(コロサイ1:18)
C御霊は復活の領域において復活のパワーを届ける(ローマ8:11、エペソ1:19-23)
2. 御霊と教会の誕生
@ 教会−頭はキリスト(コロサイ1:18)、体は私たち(1コリント6:15、12:12)
A いのちを共有する存在→アダムとエバの関係の成就(エペソ5:32)
B キリストは長子、私たちはそれに続く(ローマ8:29)
C キリスト=神性と人性の結合(ヒュポスタティック・ユニオン)、教会=キリストと私たちの
有機的結合体
D 御霊がいのちをもたらし(ヨハネ6:63)、御霊が結合の基である(1コリント12:13)
3. 油塗られるための注意点
@ 油塗られる根拠-イエスの血:らい病の清めは血の後に油(レビ14:14-32)
A 油注ぎと油塗りの違い
・ 油注ぎ:頭に注ぐ、頭はキリスト(=油注がれた者)
・ 油塗り:すでに油は頭なるキリストに注がれている!その油が体である私たちに垂れ
てくる(詩篇133編)→油で塗られる
・ 個人が勝手に油注ぎを求めるのは見当はずれ(聖霊派の問題!)
B 体の意識をもち(詩篇133編、コロサイ1:19)、体に留まること→キリストの頭首権に服
する時、自然と油が塗られる
C キリストに服し、キリストを高く挙げ、キリストを褒め称え、キリストを求めること(聖霊
様ではない!)
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