犠牲の捧げ物について



律法は来るべき 良き方の影 であり、実体(本体)はキリストです(コロサイ2:17、ヘブル10:1)。特にコロサイ書で「実体」とある言語は「体(soma)」です。 旧約聖書に書かれている事柄はすべて イエス がどなたであり、何をして下さり、私たちが何を得ることができるかの予型(タイプ)です (ルカ24:27,44)。例えば、 ノア の箱舟もイエスを予表します(1ペテロ3:20,21)。出エジプトで啓示されている 幕屋 もイエスを予表します(詳細は こちら )。レビ記は普通ややこしい旧訳の儀式を羅列している書として退屈な印象があるようですが、実はもっとも豊かにキリストを描いている書です。 レビ記1章から5章に書かれている種々の捧げ物はまさにキリストその方を表しています。

  1. 燔祭(レビ1章)
    • 任意の捧げ物で、全焼のいけにえとも言われ、焼き尽くす物、全き献身を意味します。
    • 燔祭は「焼き尽くす捧げ物」あるいは「全焼の捧げ物」と呼ばれます。傷のない牛・羊・鳥に→ キリストは傷のない神の子羊 (ヨハネ1:29、1ペテロ1:19)
    • 動物の上に手を置く→ 一体となること (ローマ6:5、1コリント6:17)
    • 解体され、焼き尽くされる→ 神の炎によって焼かれたキリスト (ヨハネ19:28、ヘブル13:11,12)
    • 宥めの香です。

  2. 素祭(レビ2章)
    • 任意の捧げ物で、穀物の捧げ物とも言われ、細かく砕かれた捧げ物です。
    • 上等の小麦粉→ キリストの完全な人間性 (マタイ11:29)
    • オリーブ油→ 御霊の内住 (1ヨハネ2:27)
    • 乳香→ キリストの復活の香
    • 酵母・蜜を入れてはならない、塩で味付ける→地の塩として塩気を持つ必要(マタイ5:13、マルコ9:49,50)。永遠の塩の契約となります(民数記18:19)。
    • 宥めの香です。

  3. 酬恩祭(レビ3章)
    • 任意の捧げ物で、神との平和のための物です。
    • 傷のない牛・羊
    • 解体して焼きつく→ 主に対する宥めの香また主の食物としてのキリスト (ローマ3:25、5:10,11、1ヨハネ2:2,4:10)
    • 血と脂肪は主のもの→ キリストの血と油の蓄えは神のもの (ヘブル10:19、マタイ25:1-11)、肉は祭司が食べることができます。和解によりキリストの血と肉に与るのです。
    • 宥めの香です。

  4. 罪祭(レビ4章)
    • 義務の捧げ物で、罪のための捧げ物とも言われます。
    • 罪(Sin)により無意識に犯した罪々(sins)の処理(4:2)
    • 私たちの内に住む罪への対処 (ローマ7:17)
    • 罪のないキリストが罪とされた (4:24;2コリント5:21)
    • 神は御子の肉体において罪(Sin)を処罰された(4:21;ローマ8:2;ヘブル13:11)
    • 私たちは罪(Sin)の元にいない、罪(Sin)は私たちを支配する力を持たない(ローマ6:7,14)
    • 血は祭壇の土台に注がれる(4:7)。
    • 必ずしも宥めの香となりません。

  5. 愆祭 ( ケンサイ ) (レビ5章)
    • 義務の捧げ物で、罪科のための捧げ物とも言われます。
    • 私たちの意識せず/して犯す個々の罪(sins)への対処 (ヨハネ1:29、ヘブル9:25,26)
    • 私たちの個々の罪は神の前にはもはやない(イザヤ43:25;エレミヤ31:34)
    • 旧約では覆われていたが(ローマ4:7)、 新約では罪(sins)は取り除かれている (ヨハネ1:26)
    • 血は祭壇の周辺と土台に注がれる(5:9)。
    • 必ずしも宥めの香となりません。

私たち 新約の祭司 は、旧約のように何度も動物を殺して捧げるのではなく、 ただ一度 実体であるご自分の体を御父に捧げられ、ほふられたキリストを捧げるのです(ヘブル7:27)。新約の奉仕とは 霊に仕えること (2コリント3:6−8)、それは 真理と霊にある礼拝(霊拝の方がベター) (ヨハネ4:23)。この真理とは単なる霊的道理ではなく、 旧約の実体であるキリストを捧げることです (コロサイ2:17;ヘブル10:1)。私たちの血肉の熱心とか真面目さなどは御父に受け入れられません。祭司は汗を流す服装をしてはなりません(エゼキエル44:18)。つまり人の自己努力は汗の臭いがするのであり、御父は嫌われます。御父が受け入れ、そして慰めを受けられるのは、 ただ御子キリストだけです 。霊の領域において、われわれはキリストをお捧げするのです。そして旧約の祭司が犠牲のほふられた動物を食したように、 新約の祭司もほふられた小羊なるキリストを食べるのです 。御子の血と肉に与ることの意味です(1コリント11:24−25)。




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