* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
株が300円の大幅安。米ダウが下がったのと、外人が手を引いたとの噂。でも当面の基調は変わらないでしょう。郵貯350兆の行く先もココしかないわけ。原油で潤った資本は行く先を探しています。自民大勝で改革が進み、ニッポンの金を巻き上げるチャンスが増えているのです。しかし私的には信用で買ポジションにあるヤツが来週期限なのです。どうも損が出てしまいそう・・・涙。う〜ん、株は人生だ!!!
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子供たちや、何とカミさんからも言われる:パパって仕事いつやっているの?まあ、いわゆるサラリーマン的には追われていませんし、講座制ではないので上司もありませんし、自分の時間は持てますし、個室はありますし、講義は学生と楽しんでいますし、メッセージも楽しい間だけやるつもりですし・・・そう遊びと仕事の区別はあまりないですね。ただし、今日だけはシンドイ。予備校の講義・・・。われわれはいわば「高等遊民」といった感じかな(おい、勝手に「高等」を名乗るなとの声も・・・)。青筋立てるのは、年に1,2度でいいかなと。
それにしても「一億総福音伝道」とか・・・、ちょっと敬して遠ざけたい。「今は終わりの時代だ、そんな生ぬるいことやっててどうする。滅び行く同胞のために己の十字架を負い、己を投げ打って、家族や仕事も捨てて伝道せよ・・・」とか、「祈って、祈って、祈り抜け!!!」とかね。この臭いはかつての一億玉砕の大和魂と同じ。あるいは現代の使徒預言者による宗教改革とか・・・。コワイですから、この世の人は逃げますよ。マチガイナイ!
ニッポンキリスト教の本質的問題は、神学の問題ではなく、この強迫性(ねばならない・かくあるべし)という精神病理にあるのだ。これが自家製の律法をご苦労様にも作り上げる。で、ネバネバ、ギスギス、トゲトゲ、ネチネチ、イライラ、そしてウツウツと。互いに粘着し合いますから疲れます。サラサラとパウダー感覚がイイのです、が。
アダムとエバはエデンの園でどんな生活を送っていたと思いますか?ちょとだけ想像して下さい。イエスはご自分のlifeを私たちに豊かに分与(ディスペンス)し、そのlifeを楽しむようにと、エデンの園以上を回復して下さったのです。イエスが地上におられた時、どんな内面生活を送っていたと思います?それを私たちに下さると言うのです!祈りもその主との親しいプライベートな会話でしょう?一言、「主よ〜」と呼べば、内側が甘く満たされるでしょう?涙、出ませんか?
聖(holiness)とはいのちの健やかさ(wholeness)。あのね、再建主義者が批判するような、「恵みとは自分勝手ができること」なんてやってごらんなさい。このいのちがたちまちシュンとしてしまうでしょう。いのちは神の基準を喜ぶのです。で、それを生きる時、ますますいのちは成長・増殖するのです。喜びがあればそれはいのちによって律法を行なっている証拠。律法を守ろうと自分で意識しなくてもね。このとき律法はむしろ慕わしく思えますよ。神の愛の表現ですから。バロメーターはJOYです!
神の御心はいのちを楽しむこと。イロイロな困難や苦難は避けられないでしょうが、その中でも楽しむことができるいのちです。楽しむクリスチャンを神は求めておられるのです!
わたしが来たのはひつじがいのちを得、しかも豊かに得るためである。