* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
彼は『誰もが聖書を読むために』や『聖書の論理が世界を動かす』(いずれも新潮選書)の著作で知られている元々は経済学者ですが(本名は肥田日出男)、宗教学者としてこのペンネームを使っています(シューペンターと言う有名な経済学者がいるのです)。明治学院大学の教授です。ここは、私の友人も教授をしているが、まっとうな大学ですよね^^。
彼の聖書理解の特色は、<いのちエネルギー>をキーワードとします。つまりエデンの園で失ったいのちエネルギーをイエスがわれわれに注入して下さるというわけ。あれあれ・・・?そうです、Dr.Lukeと同じことを言っているわけ。下に紹介したBlogには「KINGDOM原理からの聖書解読」などというコーナーもあって、その中で「聖書は、天の創主のKINGDOMにおけるロイヤルファミリー(王室家族)になるためのノウハウを記した本」と言っておられます。これはわがKFCでも何度もメッセージしていることで、北森氏の著作よりははるかに分かり易い!
彼については一部で異端とかカルトと評されている「ベレヤ運動」と関係しているという話もありますが(確かにベレヤ関係のサイトでリンクされている)、彼自身の著作はきわめて聖書に基づいています。自分に都合の悪い者はみな異端・カルトのラベル貼りを好むニッポンキリスト教の方がよほど病理的であると私には見えるのですけどね。
と言うわけで、たまたま下にリンクを張りましたが、改めてご紹介いたします。興味の範囲が実に広く話題も豊富で、実に有益です。
注:彼はベニー・ヒンをけっこう評価しているようですね。まあ、人はそれぞれ、ということで、目くじらはあまり立てないでください、ネ♪
春平太氏の著書の中で、遠藤周作とダブル「綾子」のキリスト教作家についての分析がなされていたのが印象的でした。
私の育った教会でもそうだったのですが、彼らの著作の世界=聖書みたいな雰囲気が漂っていました。
いまだにキリスト教会の中では、彼らの「キリスト教的」作品が大きな影響力を持っており、しばしば説教で引用されたり、映画を上映して伝道したりしています。
彼らの作品は文学としては非常に優れたものなのかもしれませんが、その中で描かれている世界は「苦シチャン」のそれのように感じるのですが・・・
これも「著名人を起用した伝道」のひとつなのでしょうか・・・
P・S 私の場合、鹿嶋春平太氏との出会いがルークさんより先でした。 最初にルークさんを知ったとき、「この人は鹿嶋春平太とグルに違いない」と思わされるほど、共通点が多く感じられました。
春平太氏の聖書解読は時にエキセントリックな印象もありますけど、ニッポンの中では貴重な存在だと思いますね。
「ニッポンキリスト教」について指摘する人がルークさんと鹿嶋氏のお二人だけなんて、不思議でしょうがありません。何十年も「王様は裸だ」という人がいなかったなんて・・・
私が彼の『誰もが・・・』を買ったのが、95年12月22日となっています。同じような信仰を持っている人がいてビックリしたことを覚えています。
確かにニッポンキリスト教のイメージが、いわゆる作家によって作られてしまっていますね。まあ、明治時代の文豪もほとんどが聖書に触れていながら、クルシチャンから抜けられなかったわけで、<苦しむこと=信仰者の模範>といった霊的マゾヒズムが蔓延しています。
あるご婦人が言っておりましたが、困難な状況で喜び楽しんでいたら、「あなたはおかしい」といわれたそうです。おいおい、パウロは「いつも喜んでいなさい」と言ってたよな、と。牧師先生たちはこれを「絵に書いた餅」としているわけですね。
で、信徒もお互いに苦しんでいることを慰めあって励ましあって、実はお互いにそれで安心し合っているわけです。妄想と自己憐憫と・・・。これって相当にキモイ世界ですよ。ニッポンキリスト教界でほんとに喜んでいたらヤバイことになってしまうのですね。ああ、ビョーキの世界に住むことは・・・汗。
BBSとblog間の反復横跳び、ご苦労様です・・・。
コメントと全然関係ないですけど、日記がblogになってからはBBSとblogとの間に相当距離があるイメージがありますね。
BBSでカキコしたルークさんが今度は大急ぎで400メートルほど全力疾走して、blogの「部屋」の中に帰ってき
てコメントにレスしているような・・・
で、レスを書きながら頬と肩の間にはさんだ受話器で、「人間関係に悩んでるんですが・・・」の悩みを聞いているモーレツ社員のような光景が浮かんでしまうんですけど・・・(blogの独立性のためでしょうかね)
天の御父も私たちのいろんな悩みを聞くのに忙しくしているのでしょうかね・・・
今日は(昨日か)お疲れ様でした。 ハレルヤ!