* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
先の日記に、「鬱病には自己欺瞞がある」という部分に関していくつかの抗議メールをいただきました。ちょっと弁明しておきましょう。
鬱病には内因性のもの(人生の事件と関係なく起きるタイプ)と、外因性あるいは反応性のもの(人生の出来事によって起きるタイプ)があります。前者は後者よりも重篤で、シナプスの神経伝達物質などの問題があります。最近では副作用の少ないセロトニンをコントロールするSSRIなども出来ていますが、このタイプは大脳生理学的異常があるわけです。
後者のものは多分に精神病理的原因があります。深層心理はちょっと置いておくとして、抑鬱という感情は、実はとても重要ないのちのシグナルなのです。つまり自分にはできないこと、自分の良心に逆らうこと、自分が好まないことに直面した場合、その反応が起きます。普通の人は−私などはその典型ですが−そのようなシグナルを感知したら、ただちに逃げてしまうのです。関わりを持たない。
ところが鬱病になる人は生来の生真面目さとプライドの高さ(怒らないでね)、それと周囲の反応を気遣うためにソレを引き受けてしまうのです。周囲の人もそれを自然と期待して、視線が彼に向けられるようになる。で、逃げられなくなるわけ。こうして自分のキャパを超え、嗜好に合わない事柄と対峙せざる得なくなる。これを長期に続けると精神は疲弊します。これが外因性の鬱です。つまりすでに本心ではシグナルをキャッチしているのに、それを取り繕ってしまうわけですね。これが「自己欺瞞」の意味です。
で、鬱病から解放される道は簡単です。もちろん薬物のコントロールも不可欠ですが、自分の本心を自分で受け入れること。それに自然に応じること。リキを入れないことです。私の生き方は、この意味で「楽しいことはする。つまらないことはしない」わけです。自分のいのち(魂と肉体の要素が多い)のキャパと性向を無視することなく生きることです(「おいおい、魂を否んで、十字架を負え、と主は言っているが・・・」と言う方はニッポンキリスト教に冒されてます)。主はそのようにナチュラルに生きる術や知恵(そして妻^^)を与えて下さるのですね。
と言うわけで、私みたいなナマクラ・クリスチャンもいるわけです^^。