* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
S兄とK大学病院に彼を訪ねた。正直、彼の姿を見るのが怖かった。二人で地下駐車場で祈った。
カーテンの向うには、かつて60年代オールディーズを気取った長髪でファッショナブルな彼の姿はなく、痩せて目だけギロギロしたおじさんがいた。覚悟はしていたが、「これでは道で会っても分からない・・・」。
すると彼の方から、私の目を覗き込むように、「唐沢兄弟、待っていましたよ」と手を伸ばしてくれた。痩せて血管の浮き出た彼の手を取り、しばらくそのままだった。そしてうつむいた彼がポツリと言った、「参りましたよ。こんなになっちゃって。家で治したかったんだけど、家族に迷惑かけているのがつらいよ。僕は無収入だから、子供たちにも働かせているし、先は見えないし・・・」。
そして私をまじまじと見て、「兄弟はこうなるって分かってたの?」と聞くので、躊躇しつつ、「ええ」と答えると、彼の顔に自嘲気味の笑みが浮かんだ。私は、そうかプライドの高い彼は自分が入院することは家族の手前できなかったんだと感じ、「何でもっと早く・・・」と大声で言いたかったが、グッと飲み込んだ。
思えば私はいつも彼のなす事毎に異議を唱え、しかもそれが私の警鐘どおりになっていたので、彼にとっては私はメンツを潰し、足を引っ張るだけのうっとおしい存在だったのだ。そして今回もそうなってしまった。病室の外を見つめて、「僕の心はあの空のようだよ」と言った彼の言葉が耳に残った。
しばらくの沈黙の後、遠くを見つめるように、彼が言った、「昔、まだ子供たちが小さかった頃、ワイワイ楽しくやっていた頃が一番純粋だったかなあ」と。私も「そうだね。あの頃は僕たちも若かったし、ケンケンガクガクやって楽しかった。兄弟、またケンケンガクガクやろう」と言うと、彼はうつむいて、「もういいよ・・・」と答えた。かつての負けず嫌いの彼の勢いを思うとき、悲しかった。
3人で祈りつつ、病室を後にした。私たちは彼のもっと深い部分に触れたかったという気持ちも残ったが、私たちもギリギリだった。やることはやれたとS兄と確認し合うことができた。今、主からの重荷は下ろせたと感じている。後はすべて主の御手にお委ねするのみ。
これまで祈りに覚えて下さった皆さんに感謝いたします。オペは26日予定です。12時間以上かかるようです。
わがたましいよ、主をほめたたえよ。主がよくして下さったことを何一つ忘れるな。主はあなたのいのちを穴から贖い出し、あなたの一生をよいもので満たされる。