* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
株が好調だ♪あすはタナボタの休みが取れる♪♪またチネチッタを開拓しよう♪♪♪
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クリスチャンと一般の人との付き合いを比べると、なんとまあ、クリスチャンとの付き合いの疲れること。ゴチャゴチャ、ブツブツ、あの人にこう言われた、傷ついた、あの先生は嫌い、献金は気に食わない、あの教会は嫌だ、危ない・・・。
つぶやいて荒野で倒された人は・・・。
まあ、クリスチャンの人間関係の湿度と粘着度の高さは、一般の人との付き合いの何十倍もある。これで分かることは、いかに満足しているクリスチャンが少ないかと言うこと。自分に満足がなく、欲求不満を溜め込み、自分の生活すら建て上げることができてない人は、ネチネチともっぱら人の足を引っ張ることに喜びを見出すようだ。ご苦労様なこと。
一方で紅貧あたりに群がり、恍惚とさせてもらって、神様は素晴らしい〜。しかし日常生活には何らの変化もなく、夫婦関係は寂しく、キリストにある豊かを楽しむと言われても、何のことか分からない。かくしてヨン様ではなく、ヒン様を初めとする油注ぎの器のオッカケと化す。
パウロは貧に処する道も、富に処する道も知っている、あらゆる事において満足することを学んだと証ししている。求めるものを間違えなければ、私たちはあらゆる面で満ち足りる民となる。人生は楽しんだ者が勝ち。つぶやく者はいつまでもご自由にどうぞ。
再度、果たして自分が何を求めているか、自己点検をする必要があろう。そしてこのことで「的外れ」の軌道修正ができれば、主は日本でも大いなる業をなし得る。それは淡々と日常を生きる普通のオジサン・オバサンを通してなされる。なぜならその存在自身がキリストの証明だから。
神にとって、油注ぎの器とか、霊的エリートなどは不要なのだ。人が出張る時、神は奥ゆかしい方ゆえ、あえてご自分を主張することはなさらない。ひとえに私たちのハートがどこを向いているか、すべてはここにかかっている。
ARE YOU SATISFIED WITH CHRIST ALONE?