* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
ネットの自殺掲示板で知り合った7人が車の中で練炭を炊いて自殺。これに対してその手の掲示板の常連は「これは当たった。うらやましい。」とコメント。
私も一応心の専門家として、この種の現象を予測していますが、現実の方がはるかにまさる。凄い事が起きています。
http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/jiken-byori.html
http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/shonen_byori.html
この種の現象のキーワードは「共鳴」である。同一の精神病理を抱えている人々は容易に互いの病理に対して共鳴を起こす。特に自己憐憫や被害者意識に固まった人々は互いにそれに共感し合い、妄想的世界を共有する。これをネットが助長する。
ネットではおよそ考えられることが何でも、否、考えることを超えて何でも起こり得る。出会い系サイトから自殺系サイトまで、人間関係の病理の種類だけサイトは構築し得る。言えることはリアルの世界での人間関係の不毛さとネットに入れ込む度合いは比例している。
大脳では現実に何もなくても、ある種の電気刺激や電磁波の刺激でイメージなどを作り出すことができる。本人にとってはそれはリアルとなる。逆に一切の刺激を取り去っても(センソリ・デプリベーション)、正常な人でも幻覚や幻聴を経験する。オウムで狭い部屋でビデオを見せるうちに解脱体験をすることもこれの一種。
この経験をした人は決してオウムの過ちを認められなくなる。ちなみに聖霊派の「聖霊経験」などもかなり怪しいものが多いように思う。私たちは経験によって歩むのではなく、感じようと感じまいと真理によって歩むのである。
かくしてリアルとヴァーチャルの境界線が曖昧となる。一方で、リアルかバヴァーチャルかは問わず、とにかく同一種類の「経験」を共有する人々が群れることになる。教界の「派」などもこうしてできてくる。これは一種の霊的要塞となるが、この中に霊的存在が「声」や「幻」を投影する時、何でもアリとなる。
人の大脳と霊的世界との関わり、および精神病理と霊的世界との関係のメカニズムをもっと精緻に研究することが必要である。「悪霊退散」の牧師先生たちがまずは迷信から解かれて、聖書に基づいたサイエンスを知る必要がある。