* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
彼らは実に似ている。共にある種の無色さが要求され、生活臭とか思想や信条あるいは評論家的色彩がない方がよい。没個性の無味性が求められる。つまり人々の投影を受け易い"キャンバス"である。人々は自分の無意識的願望をそれぞれに勝手に投影して、代償満足を得る。
考えてみて下さい。北野武が「冬のソナタ」を演じたり、"牧師"として講壇から説教する場面。私はかなり面白いと思うし、一度やらせたいと思っているが、果たしてニッポンキリスト教の信徒の皆様(いや、センセイたちかな)はどうだろう。武が救われるようになれば、ニッポンキリスト教もオトナと言える。