* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
今日は大学のオープンキャンパスで1,000人の高校生とその親御さんたちを接待した。ふぅ〜。昨日は家内だったが、本日は私が軽い熱中症のようで、頭がぼお〜として、目の奥からズンズンと頭痛が走り、吐き気がしている。水はちょこちょこと飲んでいたのだが、何しろ暑すぎる・・・。
そこで上の写真と次のビデオで涼んでください。オホーツクの流氷です(^ ^;A
http://www.kingdomfellowship.com/Av/Ryuhyo_High.wmv
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証し集に20日の日記を読まれた姉妹が証しを寄稿してくださった。2度の中絶の経験をお持ちの方である。真に自分の罪を自覚する時、真に神の赦しを知ることができる。そして多く赦された者は多く愛することができる。
日ごろ感じているのは、神の裁きを恐れたり、不安や抑うつに責められる人は、この深い部分での赦しの経験(知識ではなく)が欠如しているのではないかと思っている。真に赦されている安堵感と解放感をクルシチャンは味わう必要がある。真に慰めを受けた者は、口先でなく真に人を慰めることができる。
このとき内側に絶えず、「あなたはわたしの子、あなたはわたしの満足である、わたしはあなたの父、あなたを顧みて見捨てない・・・」と言う声が響くようになる。証し集のご婦人もこのような神との親密な会話のコツが開かれた。
遠藤周作の「沈黙」と言う小説があるが、神は沈黙の神ではない。神は生きて語る神である。神の声は絶えず私の霊のうちに響き、私を支えて下さる。私は過去2度人生の危機を経験したが、その度に「恐れるな、虫けらのヤコブよ。わたしはわたしの右の手であなたの右の手を取って、あなたを支える」、また「エリヤの神はどこにいるのか・・・」と言う声がこだました。内なる声によって深い平安が私のあらゆる恐れと不安を沈静化してくださった。
内なるパイロットランプ。外側を見れば振り回されるが、内側(霊)に戻れば、いつもそこに主がおられる。「あなたは赦されている」、「完全な愛は恐れを取り除く」。私たちが真実でなくても、神はとこしえに真実である。
3人の姉妹方の証しを感謝します。