* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
さっそく先ほどの日記に「ルークさんは超自然的な事を否定するのか」とのお尋ねをいただきました。答えは、まったく逆です。だからあえて警鐘を鳴らしています。
この超自然的能力については私の著書でも触れていますし、ニー、ペンバー、ペンルイス、スパークスなどによって論じられ、さらには鈴木大拙とフロムの共著『禅と精神分析』などで分析されています。
これは、「パラサイコロジー」と呼ばれる領域ですが、これは堕落前のアダムの有していた魂のパワーが、堕落によって潜在化したものと説明できます。アダムの能力は例えば、すべての動物に名をつけたことで推測できるでしょう?
これが現れたのが超能力です。ソ連ではかつて軍事目的で研究されていましたし、FBIの超能力捜査官などもおります。そしてこのような能力を啓発し、あなたも"神(god)"になれると囁くのがニューエイジです。これは人の魂にとってはきわめて魅力があります。「目の欲」を刺激するのです。
しかし上記の聖徒たちが警告するように、これは十字架の道と正反対です。十字架は魂と霊を切り分け、魂(の力であって、機能ではない)を死に渡す道です。その意味で十字架の道は魅力がないのです!人の目にアピールしません。不恰好で、惨めに見える道です。しかし内面は栄光です。20年の幽閉の末、トラクターの上でボロのように召されたウォッチマン・ニーの与った栄光はどれほどのものでしょう!
よろしいか、聖霊派諸氏よ。十字架につけられたキリストのみを語り、誇るところはただ十字架―これがクリスチャンです。単なるふつうのおじさんおばさんとして、普通の人間生活の責任を果たし、普通に生きること。そこに共におられる神が私たちのインマヌエルなのです。十字架により、人であることの祝福と栄光が回復される必要があるのです。