* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
現代的アレンジで唐沢版『白い巨塔』、けっこうよくなってきました。俳優が軽い分、設定などのヒネリがそれぞれに効いており、原作にないスパイスで味を引き締めています。
世の中、すべからく平板化されてきており、東大教授と言っても昔のような威厳はありません、が、それでも医学部だけはそれなりの雰囲気が残っています。しかし最近ではボロが次々に暴かれてきており、最後の"権威の牙城"も崩れ落ちんとしていますね。
(医者にかかるときには二股かけましょう、キレイに言えば、セコンドオピニオンを求めることです。)
対して教界では牧師先生族が懸命に自らの"権威"を主張し、「神に油注がれた牧師に逆らうと聖霊に逆らう罪で、赦されない」とか・・・。こんなことを口走るセンセイからさっさと離れましょう。自らの口で自らの霊的権威の欠如を告白しております。と言っても、牧師の"権威"などはとっくに地に落ちていますが。
クリスチャンは「自分は単なる平信徒」といった価値観に縛られてはなりません。神の前に等しく、みな祭司、預言者、油塗られた者なのです。権威の源は主イエスのみです。主に服すれば服するほど、安息が増し加わり、同時に権威を帯びるでしょう。権威の兆候は平安と安息です。
ニッポンキリスト教がリバイバルするためには、私は体質改善などという漢方処方ではなく、ラディカルな御霊による諸刃の剣である御言葉を用いた外科的オペが要ると思っています。しかし、メディアにはあまり期待できそうもありません。信者一人ひとりにかかっています。
中には牧師の権威の回復がリバイバルの鍵だとのたもう御仁もいるようですが、まあ、言わせておけばよろしい。まず一人ひとりが神のみ前にまず自立すること、これがリバイバルの第一歩です。今ある教会のカルト化が問題となっていますが、実はニッポンキリスト教全体が準カルト化しています。すでに既成の枠組みの中ではできませんね。・・・覚悟が必要です。