* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
私は今こうやってWWWサーバやメールサーバを自分のPC(これも自作です)内に設定したり、HPも自分で作ったり、また大学ではJAVAを教えたりもしているのですが、実は新しいモノにはカナリ抵抗感を覚えるのです。
95年にWindowsが出たとき、PCを持ってないオジサンまでもが大晦日の騒ぎのような盛り上がりムードにおされてWindowsを買い込むという笑い話があったほどですが、私はと言えば、実に冷ややかに観ていました。それまで8ビットのマイコン時代から来ている私は、真っ黒な画面のMS-DOSにファイラーのFDですべてをこなしていたので、それで別に不便はなかったわけです。
CP/Mの64KB(!)のメモリ空間をすべて把握しつつ、Biosのシステムコールを駆使しながらZ80のアッセンブラでプログラムを書いていた私たちは、Windowsのような人が仕掛けた環境の中で、人の組み立てたプログラムに"使われる"のが嫌で、約1年半時代の波に逆らっていたわけです。しかしついにインターネットをするにはMS-DOSでは駄目でして、97年にようやくWindowsを導入しました。
インターネットの前はパソコン通信というのがありまして、今のNiftyやNECのPC-VANなどでごくちんまりとメールなどの交換をしていたわけです。思えば85年ごろでしたか、エプソンがパソコン通信の実験を始めるというわけで、それに参加したのですが、300ボーの音声モデム、それも受話器をグサッと差し込むヤツで(知ってている人はかなりのオタク!)、トロトロと実験していたわけです(これが周りで音を立てるとただちに文字化けという代物なんですね)。それでも画面に文字列がゾロゾロ出てきただけで感動したものでした。
さて、そういうわけで何だかマイクロソフトに屈服させられたような感じでWindowsとの付き合いが始まったわけです。MS-DOSですと自分が入れたソフトのファイルを確認しながら使えるのですが、Windowsは中が見えない。これがエラク不安なんですね。そこで今でもWindows版FDを用いて、窓にアナを空けて中のファイルを見ながら使っている次第。
メモリもCP/Mの64キロバイトからMS-DOSの640KBになり、さらに仮想メモリ空間などを駆使して1Mもあれば十分だったのが、今や1G!HDDに至っては120Gそこらは当たり前。ビル・ゲイツですら80年代にはMS-DOSの640KBで十分だと預言していたくらい。この技術の発達はまったくおそろしいほど。かくしてPCがすべてネットでつながり、それぞれのリソースを共有できるようになったわけですが、ハッカーやウイルスの蔓延で防備も必要となったわけです。ケータイも絶対持つまいと思っていたのが必要に迫られてついに持つ羽目になり・・・と(しかし実はこれが使いこなせない)。いやはや、時代の流れについていくのは汗をかきかきです。
で、長々前説を振った後、何を言いたいのかと言えば、私もようやくデジカメ(しかも中古)を買ったのですね(何だよ、それだけ、という声が聞こえます・・・汗)。それまではCanonの1眼レフEOS-Kissで撮り、それをスキャナーで読んでいたわけで、それも二度手間でばからしいと思い至り、新品はやめて2年前の中古品をようやく買いました。
手始めにわが家のルーフバルコニーから冬は富士山がきれいに見えるので撮ってみました(ちょっと送電線がうるさいですが)。観てやって下さいませませ。
http://www.kingdomfellowship.com/Announce/Fuji.html
デジカメはどうもシャッターが下りるのが遅いような・・・いや、最新機種はもっといいのかな?