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人間性の回復

今、KFCの追及の中心はキリストにあって回復された人間性を享受すること、人間であることを堪能することにある。

聖霊派では霊能力者に、福音派では学者先生に、正統派では社会運動家(?)になりたがるようである。私たち標準派(?)は人間になることである。

人間生活は来る日も来る日も同じような連続。その中で窒息しそうな人は、一体自分の人生とは何なんだ、と疑問の中に沈み込む。

しかし無限なる神はあえてその座に固執せず、卑しいしもべの様を取られた。これが受肉の奥義である。神が人になり30年以上人として生きた。その死と復活により、失われていた人間性を回復し、さらに栄光化して下さった。

今私たちはその人間性を今ここで愉しむことができる。実は神の意図はそのような御自分の御住まいとなる人を得ることであった。黙示録の究極は「神と人が共に住まう」ことにある。これが子羊と花嫁なる新エルサレムの結婚生活である。

ブラザーローレンスは「落ち葉を拾うことの中にも神がいます時、喜びがあふれてくる」と証している。つまらない単調な人間生活の中に共にいます神(インマヌエル)と交わる時、すべては甘美な経験に変えられる。

神の御計画とは宇宙的な結婚の完成である。今このときその前味わいとして、キリストにあって栄光化された人間性を享受してすること―これがクリスチャン生活である。

Again, Jesus, You are so sweet and more than enough!