* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
ある集団がカルト化しているかどうか、簡単に判別するリトマス試験的方法がある。そこのリーダーや信条を批判することである。この時のメンバーの反応を見ることにより、カルト度を測定することができる。つまりメンバーがその教祖や信条にアイデンティティを置いている程度と、反論の度合いは正比例する。
私がよく「聖霊派」を批判すると、しばしばお叱りの声をいただくが、その人が「聖霊派」にアイデンティティを置いている証明となる。私は現在英国のコリン・アーカートの影響の下にいるが、彼が批判されても私が反論する必要はない。私のアイデンティティは彼の上にないからである。
「ニッポンキリスト教」という言い方を嫌う御仁もおられ、私の発言を何かの挑発と受け取るようであるが、その人のアイデンティティの置き所が証明されている。キリストと御言葉がアイデンティティの置き所である時、○○派に対する批判も、××センセイに対する批判も、「It's none of my buisiness(あっしとは関わりのねえ事でござんす)」となるはずである。しかし現在の霊的状況はSaltさんもご指摘のとおり、オーディコロンが必要である。
自分というらっきょの皮むきをして何が残るか、反省猿の二郎君に調べてもらうべきである。