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決断の正否の確認

今週の主日にKFCとしてある決断を必要とする場面が生じた。詳細はここには書けないが、クリスチャンにとってはとても大切な問題である。

本件についてはかなり逡巡をし、主に祈り求め、最後まで一縷の望みを託してチャンスを設けたが、最終的には相手方の拒否によって押し出されるように決断をした。

このようなある意味で人の今後を決定しかねない判断をすることは非常に畏れを覚えることである。もし間違っていたら、もちろんその全責任を私が神と人の前で負うことを意味する。

私はすべてを主に委ねて、その日の主の臨在によって判断の確認をしようと思った。参加された方は証しして下さると思うが、ひじょうに強い臨在があり、多くの方々が主に触れられた。隠れていたことも光の下に置かれた。

この件では私の知らない部分で陰での動きがなされており、影響された何人かの人々が去った。いっしょに歩んだ人々との別離は痛みを覚えるが、判断は彼らにある。彼らのことも主に委ねたい。