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当たり前の病理

悩んでいる人、私はアダルトチルドレンと称する人、過去のトラウマがどうのこうのと訴える人、悪霊に憑かれたと叫ぶ人・・・これらの人々と接していて分かることは、当たり前が当たり前でなくなっていることである。現在に生きていない。自分の感情や混乱した思い、頑なな意志の中に生きていて、今この瞬間の神との交わり、信仰がどこかへ行っている。現在の自分の責任を放棄し、しかも「病気」がその免罪符になっている。

彼らは「自分は苦しんでいるから信仰が持てない」とよく訴えるが、真っ赤な嘘である。なぜならその言葉がすでに信仰の表明になっている。私は彼らには決して慰めの言葉とか、同情の言葉をかけることはしない。なぜならその彼らの偽りの信仰にアーメンすることになるからだ。赤信号を見て止まり、青信号で渡ることができる人は立派な信仰を持てるのである。

心が偽ると果てしない闇の中で、自分の思い、敵の思いが交錯し、感情は暗くされ、その魂の領域に拘束される。そしてしばしば人が悪い、親が悪い、教師が悪い・・・と果てしない自己責任の転嫁に終始する。私たちはある日主の前に立つ時、そのような言い訳はきかない。主は「あなたは・・・」と尋ねる。

私の元にいわゆるカウンセリングを期待して来る人は、大抵私につまづく。私はそのような人々にはこう言ってつっぱねる:「もっとあなたにふさわしいカウンセラーがいるでしょうから、そちらに行ってください。あなたの欲求を満たすカウンセリングをするならば、あなたは永遠に変わりません。私にそれを期待しても無理です。あなたが私のペースで従うならば、あなたは変わるでしょう。ご自分で判断しなさい。」と。

甘えをシャットアウトすることができないカウンセラーは、自分を偽っているか、自分に甘いか、下心があるか、商売をしているかである。彼らは容易にクライエントにマニュピレーションされる。ある人が言っていた、「医者を騙すのは簡単よ」と。そしてそのような場合カウンセラー自身が問題を抱えていることは業界の常識である。医者よ、自らを治せ、とあるとおりである。