* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
<<その1>>
かの詫間被告が控訴を自ら拒否し、一審で死刑判決確定という異例の結末を迎えた。小生もこの事件は初期に論考を書いているので、ずっと関心を持ってきたが、詫間被告には人格異常の部分とその自分を拒否してきた世間に対する憎悪、そしてその恨みを自らの方法で晴らし、その結果は自ら背負うというある種の確固とした覚悟が感じられる。「無駄には生きたくない」という彼の言葉がすべてを証明している。小生の論考は次を参照:http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Articles/Osakajiken.html
他者と自己を破壊するある種の霊の働きを受けているかもしれない。いたいけな被害者家族の心情は察して余りあるが、このような加害者を生み出してしまった社会に対してもある種の憤りを禁じ得ない。同質社会の中で浮き上がった者は敗者復活戦すら許されなくなる。詫間被告の内面性を思うとき、何か哀れを感じる結末ではある。最後の悔い改めの機会が備えられることはないのであろうか?
<<その2>>
慈恵医大の若い外科医が功績を上げるためにマニュアルを見ながら慣れないオペをし、患者を出血多量で死に至らしめる事件が起きた。
これは世間の人には驚くべきこと、信じらないことであろうが、医学の裏を少々知っている私からすると、さもありなん、と思うことである。私が学生の頃、東大の脳研の教授が精神病患者の脳を使って実験していたことで辞職した。野心がムラムラと燃える場面に置かれた時、医者はそれを抑えられなくなる。
今回の例は多分に氷山の一角である。裏には金も動くし、選挙の票も動く。みなさん、医者をただ信じて、あなた任せは止めた方がよろしい。必ずセコンドオピニオンをつけ、二股かけることです。
(陰の声:う〜ん、でもこれは牧師についても言えるかな?)
ちなみに、かつて名医の定評高い東大内科の沖中教授が退官するとき、自分の生涯誤診率を15%と公表した。すると素人はこれを「何と多いのだ」と驚き、専門家は「さすが沖中教授、何と低いこと」と言ったそうである。分かります、この感じ方の差!?