* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
クリスチャンであると言われている台湾の李登輝氏が靖国神社を参拝(昨日だったら大変だった・・・)。同氏の兄が祭られている事を感謝すると言っている。
李登輝については、ウイットネス・リー(李常受)も自分の教会のメンバーにしようと画策したことがあるが、失敗した。どうも自分の教会や団体に政治家や大企業の経営者など、世での有力者たちを招き入れようとする動きが目立つ昨今である。しかるにパウロはこう言っている:
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。
ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。
また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。
それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。
有力者がテレビで成功を証し、大層なパーティーを開いて、果たしてニッポンが霊的に覚醒するとでも考えているのだろうか。愚かなものである。人の浅知恵は滑稽ですらある。そしてこのような空気がCTなどの侵入を許すのだ、色気のある人々によって・・・。 またパウロは言っている: けだし、人の評価はしばしば破滅をもたらす。 そのように指摘するあなたは完璧ですか? このZARDの事件(事故?)は尾崎豊の最期を思わせますね。尾崎と同じく、神聖化されるようです。アメリカのジミー・ヘンドリックなどもそうでしたが、こういったアイドルの死は何かの霊的影響力を感じます。 アイドルまさに偶像ですから
* * *
『週刊新潮』によるとあのZARDの坂井泉水氏は、やはり表の顔と裏の顔の間の乖離が激しく、本人も葛藤が深かった模様。作詞も自作ではなく、ゴーストライターがいたようだ。イメージが一人歩きしてしまうことの悲劇。人からの評価はむしろ得ない方が、自分のペースで自由に生きることができるのだ。栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。
わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです。
主に代わって申していると自称する高慢な方々とリンク
しているような気がします。
違うと言うならごめんなさい。
<有力者がテレビで成功を証し、大層なパーティーを開いて、果たしてニッポンが霊的に覚醒するとでも考えているのだろうか。愚かなものである。人の浅知恵は滑稽ですらある。そしてこのような空気がCTなどの侵入を許すのだ、色気のある人々によって・・・。
偶像崇拝のもつ性質がより濃く出るのでしょう・・・
まさにこの世は偶像で満ちている。
偶像か真の創造主か?
どちらかを選ぶしかないのである。
あったくあらゆるものがいとも簡単に
偶像になる。
特に今・の・こ・の・国・で・は・!
ちゃんと聞こえ、目の見えるリーダーは
いないものか?
霊的にも、政治的にも・・・・・・・・