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本日の二冊

アップロードファイル 5KB加藤周一著『日本文化における時間と空間』。日本文化は「今-ココ」に生きる文化であることを氏の博識によってあらゆる分野の素材から論証している。日本人の時間論は、「今」に集中し、空間論は村社会で象徴されるとおり、「ココ」に集中する。よって内と外が分けられるわけ。さらに氏は「今-ココ」からの脱出の道を探るが、物理的には亡命すること、もっと精神的には禅などの二分論を超える生き方を志向すること。

氏は東大医学部卒、医学博士で、確か血液学で学位を取得されたと記憶している。『日本文学史序説』などの著作があるほどに、文学に傾倒する。大学時代も医学部の講義はほどほどにして、もっぱら文学部の講義にもぐっておられたとか。私も若い頃、氏の『羊の歌上下』を読んで憧れたもの。またわが読書術は氏の『読書術』に負うところが大なのだ。

現代日本の知性であり、聖書に基づいたキリスト教的西欧文化から、道元の『正法眼蔵』による禅文化まで網羅する。しかし多分信仰はお持ちでないようで、出エジプトに代表されるように、西洋文化に影響を与えたユダヤ文化は、始めと終わりを持つ時間論で、「今-ココ」的な時間論ではないと主張されるが、私的には神は「ありてある方」、永遠の現在形の「ある」であり、永遠の「今の方」である。この方と、まさに「今-ココ」で交わりを持つことが私たちの永遠のいのちである。この「今-ココ」は永遠と直結しているのであり、この集積が人生を構成するが、そこには神の御手による摂理が働いているわけだ。キリスト教文化は確かに氏が言われるとおりであるが、キリスト信仰は、まさに「今-ココ」であり、この姿勢は道元の時間論である「前後裁断」である。

アップロードファイル 16KBフラット化する世界―上』―現代の特徴がネットの普及により個人の情報発信が可能となり、このため世界がフラット化することを指摘し、未来の世界のあり方を予測する。

これは私的に言えば、ネット上では個人が勝手なことを語ることができ、いわば「神」になれることであり、これによって専門家も素人も同じ土俵で語ることができるわけ。と言うよりは、声のデカイ者が勝つ、あるいは壊れた人物が勝つという現象が起きるわけ。かくして常に低い方へとフラット化されるリスクがある。

昨日のNHK『クローズアップ現代』では、カリスマBlogライターが大きな影響力を持ち、企業も彼らを利用して商品を普及させることに力を入れているらしい。かくして流通、広報、販売、維持管理など、これまでとは違うパラダイムが求められている。いずれネットもPCからケータイにシフトし、テレビもいわゆるワンセグ化していくだろう。

極論すれば、これらのメディアによって、個人と個人の脳がダイレクトに繋がっていくわけで、岸田秀的には人間は本能が壊れており、社会などもすべては幻想であるとする唯幻論と、養老先生の唯脳論が結び合わさった世界とも言える。ある意味、脳内妄想がそのまま共有されて現実となりかねないコワサも覚える。

このような中でクリスチャンにとってもどのように信仰を保つのか、ひとつの大いなる課題であろう。オジサンにとっては、これからの10年はこのような社会にどう適応すべきか、それとも一切を捨て去り、山に篭って自給自足すべきか、そんなことを考えさせる一冊。下巻はこれから・・・。

Commented by サラ 2007年06月13日(水)23:25

 身に染みる話です。ルークさんの説明で、自分の周囲に起きている奇妙な現象の謎が解けます。声のデカイ者が勝つ、あるいは壊れた人物が勝つという現象。どうしよう。本当にそうなんです。昔と何かが違うなあと、節度がないんです。分を超えてどうどうと、ずうずうしいんです。そうすると自分の分の中でマナーをもっている人たちの方が押されていくんです。怖いですね。本当の弱者を日本は守れない時代に確実に入った、そう感じています。