* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
ふう、教育実習指導をこなしてまいりました。蒲鉾でなく、ういろうを買ってしまった。前にTVで観たお城の店構えについふらふらと・・・。薬局もやっている、ういろうの店???
さて、昨年よりはまってちょうど一年。ついに完結版が出た-『21世紀少年』。一昨日長女が買ってきて、昨日読了。何でもあまりも意外な「ともだち」の正体に、意味が分からず一晩考えたそうだ。で、今は、なるほど、と納得。彼女いわく「パパは多分分からないよ。相当に20世紀少年を読み込んでいないとね(笑)」とのこと。そこで私も急遽読んだが、「えっ、どういうこと?」と、今のところキテません。やはり今晩一晩考えるのだろうか?明日の仕事に差し支えるとやばいのだが・・・。
あ、それと『プリズンブレイク』も出ましたね、シーズン2の続き。前回はティーバッグが縫合した腕を残して逃げる場面が怖かったですが・・・。
今回FRBが0.5%金利を下げて、ダウは355j以上高騰。日経平均も579円も上昇。一応金融不安が解けたように見えます。しかし前に「ドルが崩壊する」と言う副島氏の著作を紹介しました(→こちら)。同様の予想を、今回、田中宇氏が書いています。ぜひ、一読下さい。
・強まるドル崩壊の懸念
かつてのわが同僚副島隆彦氏の新著『ドル覇権の崩壊―静かに恐慌化する世界』。彼は5年前から昨今のサブプライムローンの破綻を予言しており、この先NYダウは10,000ドルを割り、ドル自身も80円台に落ちるとする。かつて95年頃も75円時代があったが、当時は私も円高の恩恵を蒙ってLAに頻繁に行っておりました。氏はアメリカの覇権主義は崩壊し、中国が台頭すると予言する。現在中国は製品の品質の信用を失っており、さらに今般の飛行機事故と、あまりパッとしないが、人民元は着実に上昇している。資産を防衛するためには国内銀行に預けて置くならば、氏が前々から警鐘を鳴らしている預金封鎖によって凍結されてしまうので、やはりゴールドにするか、中国元に変えて置くべきとのこと。さてさて、アメリカの独善的グローバリズムも終焉を迎えるのでしょうか。私的にはメガチャーチなるものや、アメリカ発のヘンテコステの霊的ムーヴメントなどはさっさと崩壊して欲しいのだが・・・。
バルコニーでiPodと共にだるだるの汗まみれの時間を過ごした後(電力逼迫対策に貢献しているわけ・・・)、かつて94年に東京湾から北海道に向かったフェリーの中で観て、それ以来ファンになったヴァン・ダムの『ボディ・ターゲット』(←ストーリーと詳細なデータあり)。モチーフは往年のアラン・ラッドの『シェーン』や高倉健と倍賞千恵子の『はるかな山の呼び声』だ。アメリカ人が大好きな強い正義の男の原型的イメージ。ただし、この作品ではヴァン・ダムの空手アクションはなく、普通の殴り合いの形。この手の作品は結構カタルシスできるので、大好きでして、ヴァン・ダムが最後にパトカーで連行される際、子供たちに手を振る場面は泣ける。
実は、こうしたビデオを見ながら筋トレのモチベーションを高めかつ維持するわけ^^(一番の動機は若い子たちにモテることなわけですが・・・)
『人は「感情」から老化する―前頭葉の若さを保つ習慣術』。受験界のカリスマにして精神科医でもある和田秀樹氏による。同氏はややオタク系と言えなくもないが、実に幅広い活動をしており、本業の医師としての収入よりは、執筆や講演の収入の方がはるかに多いとか。老化とは何か―氏は前頭葉の萎縮であると言う。感情が生き生きとして、みずみずしさを保つこと。
霊的にも、ニッポンキリスト教徒は何かワクの中で窒息状態に閉じ込められ、感情が老化している面々がかなり多いように見受けられるが、人生を、そしてキリストを享受する鍵は感情の健やかさにある。この業界で生きれば生きるほど、新鮮さが磨耗し、老化してしまう。彼らが抱えている問題はほとんどが前頭葉と辺縁系と偏桃核の問題なのだ(笑)
遊ぶ時は思い切り遊ぶ。・・・と言うわけで、私は本日もトキメキを感じて参ります^^
またいつもどおり5時に起床。お陰で1日がとても長くなり、実に多彩なことができる。
まだ涼しいうちに三ッ池公園をジョッグ&ウォーク。まだ一昨日のトレによる痛みがあるので、午前中は胸を中心に軽くワークアウト。この痛みが狙った筋肉に出ることが大切。この痛みを感じる時が至福の時間。「キテル、キテル・・・」と言うわけで。
痛みの原因は筋繊維のマイクロ破断が生じており、それを補償するために、筋繊維が太くなるわけ。この時にアナボリック・ステロイド作用を有する男性ホルモンが多量に出る。「痛みなくして、前進あらず(NO Pain, No Gain)」―これは筋トレの鉄則でもあると同時に、霊的歩みでも言える。昨今のベトベトの甘えの構造による自らを自己憐憫の籠に閉じ込めるクリが多数発生するニッポンキリスト教に、前進も成長も見られないはこのため。痛みを感じたら、それこそが成長の要なのだ。
午後はプール。と言ってもいつものスイミング・クラブではない。三ッ池公園の野外プール。室内と違って、周囲を緑に囲まれ、セミの声と子供たちの騒音の中で、実に気持ちよい風が吹いている。もちろん、イモ洗い状態だから、泳げはしない。が、ノンビリと2時間ほど、水に入ったり、太陽に肌をさらしたりと、まったり過ごすわけ。これも夏の楽しみのひとつ。
で、本日の一冊は、シュワちゃんこと、アーノルド・シュワツネガー著"The New Encyclopedia of Modern Bodybuilding "。私は旧版はすでに所有しているが、この新版をオーダー。プロテインも再摂取し出し、ちょっとかなり気分が乗ってきた。30台の頃を思い出す。この勢いで・・・と。
メンテを怠ると、まず動くのが億劫になる。すると筋力が弛む。そしてますます動かなくなる。かくして重量の法則に従って、肉がぶよぶよと下へ下へと垂れるだけ。エントロピーは自然に増大するから、それを抑えるには意識的なエネルギーの注入が要るわけ。よく女性を騙すダイエット法で、『食べて痩せる方法』とかがあるが、愚かなもの。物理学的法則を考えてみよ。すべては入出力のバランス。霊的原則も同じ。昨今の売れ筋の霊的ノウハウ物に騙されるのはそろそろ十分ではないだろうか。すべては基本が大切。そしてノーペイン・ノーゲイン。
で、ジャン=クロード・ヴァン・ダムって誰?と言うご質問をいただきました。確かに彼はややマニアックと言うか、いわゆるB級映画の出演が多いので、一般の方は知らないでしょう。私はけっこうはまっておりまして、彼の作品は一応ビデオでもひととおり備えております。ヨーロッパ系の端正な顔立ちと、バレー(踊りのです)と空手で鍛えた華麗なアクションが魅力。しかし何故か大衆受けはしません。あ、でも、今回事故った引田天功とどうのこうのとあったっけ。ボディも実に美しく、私の理想ですね。
ちなみに女性でも魅力的なボディ・ビルダーはいます。ずっと前にも書いたと思いますが、私のベスト・フェイヴァリットはコリー・エヴァーソン。ヴァン・ダムの『ダブル・インパクト』で、冷血な女香港マフィアを好演していた。年齢を重ねても、そのフィギュアだけでなく、生き方においても実にチャーミングな女性だ。それにしてもキリスト教界よりは、世において生きる人たちの方が、はるかに魅力があるのは何故なのだろうか?
二講時分の試験を終えて、採点も終わり。後はあすひとつ。それから報告書作成が待っているが・・・。が、それが終われば、SUMMER VACATION!思いっきり、遊びますよ♪
で、本日の一冊は『狂気という隣人―精神科医の現場報告』(新潮社)。有名な松沢病院を初めとする病院勤務の臨床医の現場報告と言うか、ドキュメンタリー。精神医療がいかにハードであるか、実に臨場感のあるタッチで描かれている。はっきりいって知能ワークではない。力仕事、肉体労働、いや修羅場。そして常に危険と隣り合わせ。実際殺される医師もけっこういるのだ。
精神障害者との付き合いは、あちらのネガティヴなエネルギーをぶつけられつつ、こちらの(彼らに比べれば)健全なエネルギーを注入する作業とも言える。いや、これは精神病棟だけの話ではない、ニッポンキリスト教でも同じ事が起きている。"狂気という隣人"は、思いの外、かなりすぐ隣にいるのだ。いつの間に、その手の人に絡まれるリスクがあるのが現代・・・。
『弓と禅』で有名なドイツのカント学派哲学者オイゲン・へリゲルは(神学も研究している)、自ら弓道を通して禅の道を了知した。彼の著『禅の道』には、次のような言葉がある:
禅の道を歩む者は、行くところまで行くと、自己自身を放擲する。禅に対する<信仰告白>は瑣末なことだ。重要なのは、その人間の<行為>と<境涯>なのである。重要なのは、一切を包括する真理を拠り所としてその真理と一つになって生きて行けるかどうかなのだ。真理の家へと帰還し、つまりは、主体的に生きることが、あたかも生かされていることになり、生かされていることが、主体的に生きることになることによって自由と必然とが一つになることこそ、重要なのである。
いかがでしょう。ここでは偶然と必然の問題も、自己からの解放の問題も、さり気なく解かれているでしょう?「禅」とは一種のメタ関数における変数のようでもあり、ここに「キリスト」を代入しても、この文意は十分に通じるわけです。禅とは生そもものです。しかしてパウロも「生きることはキリスト」と。極私的には、思弁的ないわゆる西洋神学より、このような東洋的智恵の方が、体験的にはるかに神に切迫していると感じているわけです。
さて、本日は仕事であります・・・。
鈴木宗男氏の『闇の権力執行人』を読み終わったが、彼と言い、佐藤優氏と言い、田中森一氏と言い、みな国策捜査によって罠にかけられたと主張している。容疑については全員否認。法廷やマスコミでの"事実"は、外務省や検察が筋書きを持ってリークした作られた情報であると。私はどっちかと言うと人がイイので、つい彼らの主張に傾いている。特に田中氏は自身が検事だったわけで、その証言は重い。それにしてもみなあの小菅の拘置所で1年以上を過ごすわけで、冷暖房のない4畳半の世界は相当に過酷のようだ。ホリエモンもある意味よく耐えた。
もしかするとクリスチャンが主イエスを告白するだけでソコに送られる日も来るかも知れないが、私的にはそのような時代の方が神の栄光が現れると期待している。現在のような「何でもゆるして、愛して、あるがままのあなたは神のVIP♪」と言った霊的風潮で"クリスチャン"の頭数が増えたとしても、それこそダンボールまではいかなくとも、ミートホープ的だろう。クリスチャンにとって苦難は必要なのだ。
で、あすは台風が接近中にもかかわらず、わが大学はオープンキャンパス。あさっては関東直撃だそうだが、KFCのセレブはどうしようかと・・・。
先に紹介したヤメ検弁護士の告白記『反転』は実にすごい。前に安倍氏の背後は汚いと書いたが、何とパパ安倍氏の実像が暴かれている。某有名ヤクザの親分をフランスの病院に逃がす手続きをしたり、牛乳風呂に入ったり、と。相当に裏社会との関わりが深いのだ、安倍一族は。それにしてもこの時期に、この本はアンチ安倍キャンペーン的な含みがあるのだろうか?ぜひご一読をお薦めする次第。
午前中はいつもどおりプールとサウナ。昼はチネチッタのモーパラにて牛と豚のシャブシャブの食べ放題。ここは時間内であれば、いくらでも肉が食べられるが、歳を取ると一皿で十分。多分値段設定も若者が沢山食べても、われわれの年代の利益で埋めるような形になっているのだろう。
映画は『パイレーツ・オブ・カリビアン』。3時間の大作ディズニー映画でして、映像はそれなりに楽しめたが、私はこういったファンタジー系統はダメですね。午前中のプールで体が心地よく疲労していたため、グッスリでした(映画館では実によく眠れるのだ)。
一冊目は話題の書を出版する幻冬社の『反転』。いくつもの大事件を上げてきた東京地検敏腕検事が官僚組織から脱サラして弁護士となり、ヤクザや政治家の裏の仕事を引き受け、あの許永中と共に石橋産業手形詐欺事件で実刑判決を受け、堕ちていく記録。幼少期、極貧の中から苦学して、国立大学在学中に司法試験を一発で通り、文字通り故郷に錦を飾った著者がバブルの時代にフツウの感覚を喪失して、ついに犯罪に手を染めるに至る。どうもあのコムスンの会長もそうであったが、貧困からスターダムにのし上がる人々は堕ちると深いようだ。人はそこそこに健やかに育つ必要があるのだ。
二冊目は、私の好む岸田秀氏の『靖国問題の精神分析』。社会学も歴史学も人の心が作り上げるものである以上、精神分析的なダイナミズムが働いている。私も高校時代は歴史モノは赤点スレスレだったのだが、精神分析を学んでからは実に面白くなった。これは実はキリスト教界などはまさにその典型でして、神学論争を始めとする諸々の問題は霊的なものと言うよりは、ほとんどが精神病理レベルのもの。牧師の大々的な人格テストを試みたいと前から言って来ているが、これが実現したらかなりスゴイ結果を導けるものとヒソカに期待しているのだ。しかし何でも分析してしまうため、現在の日本キリスト教ではまず嫌われ者となるわけ。あなたは高価で尊い、何でも許して愛しての「砂糖まぶし福音」と分析は相容れないのだ。それにしてもキリスト教徒になったとたんに、愛に満ち、品行方正な素晴らしい御仁と化す現在の教界にはかなりの不気味なものを覚えている次第。作っていませんかねぇ・・・。
今日でしばらく木曜日の仕事はなくなった。楽ができます。
で、一冊目。『反省』。ご存知鈴木宗男氏と佐藤優氏の逮捕劇の裏側を、本人たちの対話形式で述べたもの。逮捕から5年を経て、すべてを語るという次第。前の鈴木宗男氏の闇の権力執行者と合わせて、読んでみると面白そう。外務省の闇は相当に深そうではある。(しかしこのお二人、何とも人相がよろしくないなあ・・・)
二冊目は『スーパーコンピューターを20万円で創る』−天文学の計算のために、たった20万円で2億フロップのスーパーコンピューターを作ってしまった東大の大学院生の記録ドキュメンタリー。パイプライン方式の専用コンピューターであるが、素人の彼らがゼロから作り上げたとのこと。天文学ではニュートン力学に従って初期条件さえ与えれば、後は解が一意に決まるわけだが、実は3体以上の多体問題は解析的には解けない。銀河系は何百億の星星の相互作用でなるわけだが、それをシミュレーションすると言うわけ。現在地球シミュレーターと言う汎用スーパーコンピューターがあるが、それは何百億もする。それに匹敵する性能をたった20万円で実現・・・。迫真の筆致でつい引き込まれてアッという間に読了。いやあ、世の中には実に頭の良い人々がいるものだ。
しかし、いつも思うのだが、自然科学系の書物のクリアさと明快さに比して、社会科学系のドロドロのワケわかめの様相はまったく対照的だ。私も歳を取って、ようやく理系バカを卒業でき、それなりに社会科学系も楽しめるようになったが、人間の作為が入るほどに「美しさ」は消失する(→論理と美しい情緒)。
さらにこれが神学とかになると、もうまったく相手にする気も失せるわけで・・・。御言葉は美しいが、神学はご遠慮したいという次第。創造主なる神を相手にしている神学が最も人間臭い、と言うよりは、神学者の精神病理の反映であることは実に皮肉と言えるだろう。この面からは私も大いに関心が湧くのだが・・・。
なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。
しかし、早寝早起きモードに馴れると、体調が実に快調だ♪
このBlogでも外務省のラスプーチンと呼ばれた佐藤優氏の著書を何冊か紹介した。彼と共に外務省の罠に落ちた鈴木宗男氏による、国家権力、特に外務省の高級官僚の性態生態の暴露本である。すべて実名による。
鈴木氏は「疑惑の総合デパート」と呼ばれたが、彼は踏んではならない外務省のシッポを踏んでしまったのだ。かくして彼は佐藤氏と共に嵌められた。これが一連の事件の両者共通の見方である。もちろん『羅生門』現象があるわけだから、すべてを鵜呑みにはしないまでも、外務省の高級官僚の生態は何とも・・・だ。金と女と地位と名誉。その内容の一端はこちらをごらんいただきたい。
これが嘘であるならば、そこにもあるように、鈴木氏は名誉毀損罪に問われるであろう。これが本当であるならば、やっぱりニッポンはヤバイ。江戸時代の末期症状を描いた手塚治虫の『陽だまりの樹』の如く、現ニッポンも平和ボケの中でぬくぬくとしている間に、その大木の中は腐っているわけ。三島由紀夫でないが、私も憂国の士を気取りたいくらいだ(腹は切らぬが・・・)。
『キリストの棺』。訳者あとがきを紹介しよう:
どうやらイエス・キリストと言う男は実在し、ちゃんと妻子がいて、十字架の上で死んだ後に・・・その「魂」は復活したが、肉体はよみがえらなかった。どうやらそうらしい。エルサレムの地に一家の墓があり、そこに本人と家族(妻子を含む)の骨があり、ちゃんとDNAも残っていたからだ。
本書の著者たちは、考古学的な証拠と統計学的な計算、そしてDNA鑑定と鑑識捜査のプロの判定に基づいて、そう確信するに至った。そして世界中の人にその確信を共有して欲しいと願い、本書を書いた。映画『タイタニック』の監督ジェームズ・キャメロンを巻き込んで、テレビ用のドキュメンタリー番組もつくった。
あのベストセラー『ダ・ヴィンチ・コード』は小説(フィクション=虚構)だが、こちらはドキュメンタリー(=事実の記録)だ。少なくとも嘘はない。妙な偏見にとらわれていないあなたなら、本書の解き明かした「事実」を受け入れてくれるはずだ。・・・
というわけですが、うーん、この手の「世紀の発見」が最近多いようです。が、事実は、墓があった。その中に遺骨があった。そこにYeshuとかMaraとかの名前があった。でも、それが私たちの主イエスだとどうして推論できるわけ?彼らの推論はあまりも乱暴だし、やたらと確率論を出してくるのもわれわれから見ると素人騙しにしか見えないのだが・・・。統計的推論の意味を著者たちは勘違いしているとしか考えられないわけ。
かくしてあえて論じるまでもないが、一編の読み物としては、まあ面白いかも。なお、キャメロンによるドキュメンタリーがディスカバーチャンネルで放映されるそうです(→こちら)。
の前に、週刊文春によると、あのコムスンの会長様は何と、キリスト教徒のようだ。田園調布に90坪の家と、320坪の土地、さらに軽井沢に2500坪の別荘、外車は20数台。それで毎週近くの教会の礼拝に出席されているとか!?いやあ、これみんな介護保険料の上がりなんでしょうね?かつて日本で最初のエイズ患者もキリスト教徒、支援者から数億を借り倒して自己破産した何とか大臣の奥様もカトリック教徒・・・。やれやれ。
(私も結婚した当初1ヶ月だけ、田園調布の豪邸に住んだのだ。本籍も田園調布だったが、その後移してしまった。田園調布に残しておけばよかったかなあ・・・)
と言うわけで、本日の一冊は、ここでも何度(こちらとこちら)も紹介しているリチャード・ドーキンスの『神は妄想である-宗教との決別-』。TIME誌での論争も紹介したが、彼はあらゆる面から徹底的に神の不在を証明しようと試みる。
実は私もキリスト教は大嫌いであるし、キリスト教徒はけっこうビョウキが入っている、と前から何度も指摘しているので、ドーキンスの論にはかなりアーメンなのだ(無神論の論証に対して、「アーメン」は不適か・・・?)。独善的キリスト教の異常さはまったくドーキンスの指摘するとおり。これが現代社会の病理のルーツであると言う。
確かに創造科学などの狂信者や、人工中絶を行う医師を殺す原理主義者、さらにテレビで金を巻き上げるテレンヴァンジェリトを見ていると、ドーキンスがこれほどにムキになる理由も理解できる。科学と神が切り離されている現代では、創造科学などはまともな科学者は相手にしないだろう。またドーキンスが好きなジョン・レノンの『イマジン』の世界のように、宗教がなければどれほど地球上は平穏になるだろうか?かくして私も脱宗教には大いに賛成であり、現代のキリスト教などはいっそのこと消滅した方がよいとすら考えている。
BUT、私と彼との違いはひとつ―神はいます。すべての根源である、ありてある方は、まさにいます方。極私的にはキリスト教などは消滅しても一向構わない。日本が1%の壁を越えるか超えないかなどはどうでもよい。無意味なキリスト教徒を増やしたところで、問題が次々に出現するだけだ。また狂気の入った神学などが滅び去ることもまったく問題ではない。ありてある方は、私たちが何をしようとしまいと、ある方だから。
昨日書いたとおり、神学は護教論と論争論に分かれるそうだが、別に護教する必要もないし、論争する必要もない。私たちに必要なのは神学でもなければ、キリスト教儀式でもない。ただ、キリストと言うお方だけ。この方はドーキンスがいくら論証しても、不在とすることはできないのだ!私たちの信仰とはただ一点:キリスト・イエスその方のみ!ペテロはこう言っている:
心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。
そしてその希望とは
あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。