* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
昨日の青春の話にはいくつのレスをいただきました。泣けてしまったとのお声もありました。やっぱり、どなたも甘酸っぱく、同時にちょっとホロ苦い想い出を持っているのですね。ジョニ・ミッチェルの『青春の光と影』と言う名曲がありましたっけ(映画にもなっています)。
邦楽では森田公一の詩がしみじみと迫る年代になりました:
卒業までの半年で答えを出すと言うけれど
二人が暮らした歳月を 何で計ればいいのだろう
青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの
青春時代のまん中は 道に迷っているばかり
二人はもはや美しい 季節を生きてしまったか
あなたは少女の時を過ぎ 愛にかなしむ人になる
青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの
青春時代のまん中は 胸にとげさすことばかり
でも私などはいまだに迷っているかも知れません。根本的に自己決定をしたくないのだ。考えてみると学生時代からわが生活も服装も変わっていませんし、気分もほとんど同じ。いまだにフラフラしていますし。カミさんとの関係も当時から古びた感覚もしません。子供たちは成長しましたが。 もっともっと力の抜けた、生きることの味わいを知るクリスチャンがどんどん出てくることを願っているところです。 アーメン。 アーメン!!! アーメン!!! 主のあわれみと慈しみに満ちた みての中で今を生きることの喜びを知りただ、感謝が増すばかりです。 >ビョウキの人のお相手はほとんどしたくないし、 ビョウキの人とは精神疾患を持つ人と言うわけではありません。ご自分の概念で解釈しないようにお願いします。私の診断マトリックスは、 一応納得しましたが、ビョウキの定義とは何でしょうか? そうですね、ここの数日前のタバコの件をご参照下さいませ。あるいはずっと前にも書きましたが、アポなしでいきなり自宅に押しかけてくる某団体の牧師とか、夜中の3時に私のところに来る人。こういった人々のことを私はビョウキと言っております。
クリスチャンではありますが、ニッポンキリスト教徒にはなりたくありませんし、この業界の病理と倒錯は想像以上だと分かりましたし、イロイロ言われても、まあ、創価学会で言われるようなもの。私の人生とは関わりがない。ただこうして皆さんとの個々の出会いと交わりは大切にしたい。
何とか教団の決議だの、決起声明だの、日本民族総福音化何とかなんて恐いだけですし、昨日述べた学生運動のアジ演説みたいなもの。ややうるさいBGMです。たまたま主日にはメッセージをしていますが、別に集会をでかくしたいわけでもない。油塗りがなくなって楽しくなくなったらただちにたたむ予定。ビョウキの人のお相手はほとんどしたくないし、信仰も基本的に自己責任でと考える。私はニッポンキリスト教公認の牧師などではないのだ。福音も主が伝えるべきと導かれた人には語るが、こちらから折伏することはない。互いに人間同士の関係を楽しんでいる。
まあ、こう書くと目を吊り上げた人たちからは怒られそうだが。依然としてモラトリアムしているわけかも。憧れるのは山に篭ること。桜と富士を愛で、温泉を楽しみつつ、生きること自体を慈しみたい。学生との触れ合いもそのひとつの楽しい場面ですし、個々のクリスチャン同士の交わりも同じ。こうして一期一会を大切にしつつ、主が下った時々刻々、日々、年月を主と共に生きる。これにまさる幸いはないわけ。
リバイバル音頭で、あの聖会だ、あの油注ぎの器だ、あの教えこの実行と、かまびすしいニッポンキリスト教徒を見ていると、何故か悲壮さと血気と油と汗の臭いがするのだ。もっと力を抜いて、日々を慈しみつつ生きればよろしいと思うのですが・・・。まあ、余計なお世話でしょう。
あらゆる事柄の上に主のあわれみといつくしみに満ちた御手を覚え、その摂理の中に生かされていることを思うとき、何なのでしょう、意味不明な喜びがこみ上げるのだ。主にあっては私たちの光も影も、その栄光で包まれ、ナッシングと化してしまう。この死のダイナミズム!聖なる方 聖き方に
誉れと栄光 賛美 永久(とわ)に
御座から恵み 憐れみ満ち
御顔の栄光に 我 消えゆく
すべてに 勝る
主よ ただあなただけが 完全 真実
アイ・スタンド・イン・オウ
聖なる方に、聖き方に、
高き御名 子羊 主よ
とこしえまで 変わらぬ方
造られしもの 何を持ても
御顔の栄光に 影 落とせず
−Faith05の"I Stand In Awe"(←視聴可)の和訳:
ナッシングと化してしまう。この死のダイナミズム!
ルークさん、ありがとうございます。
主・イエスを、主の御名を賛美します。ハレルヤ。
力の抜けた、、
ナッシングと化す、、、
主イエスを賛美しつつ
感謝。
あーこの方にであってよかったと。
この点にはかなり違和感を感じるなあ。
イエスさまもそうだったのかな?
Type0:精神疾患もなく、ビョウキでもない人
TypeI:精神疾患はないが、ビョウキの人
TypeII:精神疾患があるが、ビョウキではない人
TypeIV:精神疾患があり、ビョウキである人
となります^^
語っていること全体から判断すべきなのでしょうが、簡単に定義を教えていただけるとありがたいです。