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倒錯の本質-自分を"神"とすること-

筋トレを開始している。ジョッギングとウォーキングで温めた後、マシンで各部に刺激を与える。とりあえず、デカイ筋肉からと言うことで、70%くらいの負荷で、大胸筋と大腿四頭筋を。筋トレを行うともちろん苦痛が伴うのだが、ストレッチと風呂でよくほぐすと、実に気持ちのイイ疲労感を味わうことができる。刺激を与えた部位が暖かくなるわけ。そして気だるい眠気が襲う。これがまた実に気持ちイイ。明日あたりに痛みが出るが、こもまた気持ちイイ。"No Pain, No Gain"は筋トレでも、霊的成長でも同じ。

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ブッシュがコワイと述べたが、キリスト教(に限らず宗教)の恐さの理由は倒錯現象にある。自分が世間になってしまうこと。言い換えると、自分を"神"とすることであるが、特にキリスト教の場合は、表向きは正義の旗を掲げて、「神の名」をお墨付きとして利用できてしまうので怖い(例えば十字軍など)。

私たちは自分が世界の一部であって、「ワン・オヴ・ゼム」の意識が正常さを保つためには必要。しかしある種の変性意識状態になると、自分が世間になり、自分の価値観が"神"の価値観となる。これが恐い。

クリスチャン・トゥデイの連中を見ているとよく分かるが、自分たちの価値観を私たちにも強要していることに、彼らは気がついていない。矢田記者が「私たちは誰にも強制したことはありません」と言っていたが、このことばがすべてを証明している。

つまり自分たちの信条(ダビデ=キリスト?)を彼らは絶対的真理と信じているのである。しかし他の人たちはその真理を見出していないから、意識の上では押し付けはしないが、しかし無意識下では折伏したいわけ。彼らのプロトコルでは自分たちは至ってマトモなことを語り、行っているのである。しかし現状は見てのとおり。少佐の周囲に韓国クリスチャン・トゥデイの社員らが現れて、恫喝を繰り返している。これが彼らの病理性を明らかに示している。

これはローカルチャーチなども同じ。自分たちこそ真理を知っているが、他の者は知らない。だからイロイロな迫害を受ける、と彼らは信じている。リーを批判する者はサタンにそそのかされた者であると(たとえばコチラを参照)。こうして自分や自分の信条を相対化することができなくなる。これは基本的に分裂病などの妄想を抱く病理の本質である。

またこれは2ちゃんねるあたりのキャラでも同じ。2ちゃんねるの論理が世論であると無意識下に思い込んでいる。その場では変性意識状態となり、自分が"神"となれる。かくして捏造、歪曲、挑発、中傷などありとあらゆる手法を用いて、対象を引き摺り下ろす。それなりに常識を備え、マトモに見える者ですら、ある部分でマトモな感性を消失している(→こちら)。

実はそれは自己疎外した"自己"を対象に投影して、その"自己"に攻撃をしている究極の自作自演なわけ。自己疎外や劣等感に悩む者ほど、あの場は仮想的天国となる。これは社会に対して自分の攻撃性を投影し、社会から攻撃されると思い込むカルトの病理(パラノイド)そのものでしょう。こうして彼らはサディスティックな仮想的満足を得る。実に虚しいものであるが。この虚無感を味わうほどにさらに攻撃の対象を見出しては粘着し、延々と同じことを繰り返す。

自分を"神"とすること−そのルーツは果たして誰だったでしょうか?