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誰の信仰?

ガラテヤ2:20はきわめて有名であるが、大いなる誤訳のある聖句でもある。ここのギリシャ語の構造は大変にややこしく、よって訳者の主観を入れて訳してしまうのです。

さっそくDr.Kさまが取り上げてくださり、次のように訳されました。これで大いなる解放が訪れるのではないでしょうか?昨今の人間中心の「○○さんの信仰は素晴らしい」と言ったヨイショ的"証し"を聴くたびに私はうんざりしているわけです。私たちは誰の信仰で生きるのでしょうか?

私はキリストと共に十字架に付けられてしまった結果、今私は死んでいる。
だから、もはや私が生きているのではなく、キリストが私の中で生きている。
というのは、今私は肉の中で生きており、私を愛しそして私のために
ご自身を引き渡された神の子の信仰の中で、私は生きている。

となります。「私は死んでいる」ので信仰を持ちたくても持てないのです。死んだ私に代わって、主イエスの信仰(神への従順)が私を生かしているのだ、とパウロは言っているのです。

主イエスの信仰が私(たち)を生かしているのです。言い換えると、主イエスの信仰によって私(たち)は生きているのです。

ちなみに英訳では、分かりにくい訳ですが、YoungのYLTが一番ギリシャ語に近いと思います:

with Christ I have been crucified, and live no more do I, and Christ doth live in me; and that which I now live in the flesh--in the faith I live of the Son of God, who did love me and did give himself for me

Commented by kenji 2007年04月10日(火)10:35

信仰も私とイエスとではえらい違いですな。