* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
Dr.Kさまが大変に微妙な問題提起をされています。死後の私たちの有様についてです。ぜひご一読ください。私もこのように解釈する人を少なくとも二人知っております。これはぜひ主の前で問う必要があるでしょうね。
ちなみにヨエルの預言がペンテコステの日(だけ)に成就したと解する聖霊派の理解については、ウォッチマン・ニーが疑義を呈しています。つまりペンテコステの日の聖霊の傾注は、ヨエルの預言成就の「ひとつ」であると。これはDr.Kさまがご指摘のとおり、「ある日々の終わりの数々には」から明白です。それぞれの人に、それぞれの時に、ヨエルの成就があるのです。
貴兄のライブメッセージ、毎週楽しく拝聴しております。感謝です。
今回当ブログで提示した内容に関して、ご報告しておきます。
まず、ヘーメラ(日)を「属格」と勘違し訳出しました。ここにお詫びと訂正をさせて頂きます。ご指摘の通り、英訳すると「in the last day」となります。本日訂正文を提示しましたが、内容的に大きな変更はありません。
さて、舞台裏を明かせば、ある「意図」を持ってこの論考を提示しました。その意図を明かすと、誹謗中傷になりかねませんので、それ以上のコメントは差し控えさせて頂きます。
私としては、そのような解釈の仕方もあり更なる検討の余地がある、とだけコメントするに留めて置きます。
キリスト者なら、死後私たちがどうなるのか、全てに比して最も興味ある点だろう思います。しかし、聖書に書かれている事柄の多くが「隠されている」からこそ、逆に堅い信仰に立つ必要があるのだろうと思います。言い換えると、神学とか聖書研究とかによって、「全て」を明らかにすることは不可能なのだろうと思います。ただ主に拠り頼め、でしょう。
修正版拝見いたしました。
「ご指摘の通り」とありますが、指摘させていただいたわたし(ジョナサン)を、Lukeさんだと思われたのでしょうか?(・∀・)
別人ですので、念のため。