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時代の潮目

先に紹介した佐藤優氏の『国家の罠-外務省のラスプーチンと呼ばれて-』を読了した。最近こんなに密に読んだ本はあまりないのだが、相当に引き込まれた。要するの被告人の彼の立場からすると犯罪の認識は一切なく、イスラエルでの学界の費用を外務省の委員会予算から流用した背任についても、実は外務省の上が決済していたのが、何故かその書類は消失しているとか。彼の目からすると、外務大臣の田中真紀子氏が同省をかき回したわけだが、これを排除するために鈴木宗男氏と佐藤氏が利用され、利用価値がなくなると彼らが排除されたと言う構図になる。

そして面白いのは佐藤氏は哲学と神学の専門家でもあるため、自分がどのような時代背景に置かれているかを的確に分析していることだ。彼の言葉で言えば、「ヘーゲル型有機体モデル」から「ハイエク型新自由主義モデル」への転換の潮目に置かれたのだ。前者は古い体制であり、国家が個人を最大限保護し、個人は国家の一構成要素とされる社会モデルであるが、後者は国家は最大限ミニマムにされ、個人が自己責任を伴ってクローズアップされる社会モデルである。実はハイエクはリバータリアニズムの先駆者である。ここにもまた再建主義との絡みが出てきたわけだ。

小泉政権になってから、この時代の半強制的移行がなされているわけだが、鈴木氏が社会資源の「公平分配モデル」また国際的には「交際強調的愛国者」の代表であり、対して「傾斜分配モデル」また「排外主義的ナショナリズム」への変革を意図する勢力にとっては、その排除がその変革の証しとなるわけ。かくして鈴木氏に同労していた佐藤氏は共に排除されたわけだ。いやあ、このあたりの佐藤氏を切る外務省の冷酷さは背筋が寒くなるほど。これが組織と言うものか。

面白いのは彼を調べた検事である西村氏との間で、ある種のストックホルム症候群とも言えるような互いに敬意を抱き合う同士意識が生まれること。西村氏自身がこれは国策事件であると指摘しているし、西村氏は最後には、何と左遷されるのだ!?佐藤氏は西村氏に最大限の賛辞を送っている。かくして事件は訳の分からない上の力によって突如終結を迎える。そして佐藤氏の主張は裁判所ではほとんど採用されず、有罪となるわけだ。一緒に起訴された人々はみなそれぞれに自分の利益を考える供述をしつつ、素直にお縄につくのだが、佐藤氏はあくまでも真実を訴える。かくして512日間の拘置所生活となるわけで、その間の事が実に細く記録されており、将来の参考になった。

ちなみに本件にまつわる外交文書は2030年には公開されるので、それらを精査すれば佐藤氏の主張が裏付けられるとのこと。私の個人印象では、やはり佐藤氏は国家上級(I種)のキャリアではなく、専門職(ノンキャリア)であることが災いしたように思えるのだ。この記録を読むと、政府と検察のつながりが相当に密であり、司法の独立がどの程度担保されているか不安になってしまう。そして何よりもニッポンはやはり東大法学部を頂点とする官僚国家なのだ!小泉氏もこの牙城を崩すことはついにできなかったし、もしかすると小沢さんでも無理かも。なぜなら「朕は国家なり」ならぬ、「役人は国家なり」だから。

加えて、極悪人のように扱われた鈴木氏と佐藤氏であるが、検察のリークする情報によってマスコミの作り上げたイメージはかなり歪んでいるのだ。これもコワイ。真実のありか−やはりヘーゲルの『精神現象学』の東洋版かつ映像版である『羅生門』を撮った黒澤明は天才である。

Commented by イザヤ・ベン・ハー 2007年02月08日(木)11:02

大変興味深い本のようですね。ところで佐藤氏は時代をリバータリアニズムに変える勢力によって排除されたと考えているわけですが、一方で国家の力によって開始され終結された国策捜査だったとも言われる。ハイエクと官とは一見矛盾する存在のようにも思えるのですが。このあたりの構図はどうなっているとお考えでしょうか?

Commented by Luke 2007年02月08日(木)19:13

確かにある意味矛盾しますね。佐藤氏の件では検察の西川氏がこのままだと上の方(森氏)まで追求しなくてはならなくなると言って打ち切ったそうです。その上とは誰なのか、官がハイエク的国家を意図しているのか、はたまた一部の政治家だけなのか、これは情報のない私には分かりません。

どなたかご意見はないでしょうか?