* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
本件について前回の会談に立ち会った限りにおける私の印象をメモっておきます:
1)3人について:とてもまじめであり、純粋さを感じますね(これが危ないわけですが)。ただk氏のBlogなどもそうですが、幼稚さが目立ちます(山谷さんをサイバーテロリストにするとか)。その分、一度はまるとまっしぐらになるわけです。この3人に限って言えば、社会経験と常識の欠如が顕著で、自分内の論理とプロトコルで動くために認知と判断が普通とはずれるわけです(カプセル化現象)。例えば私と何の面識もないのに、いきなり自宅に電話してきて、明日会え、と求めることの非常識さがまったく理解できていません。よって、会談でも申し上げたとおり、今後も問題を起すでしょう。
2)ACMとかダビデ張あるいはその団体の歴史や背景について、彼ら自身もあまり知識と評価がないような印象を受けました。そのあたりに対する突込みがないままに、今見た光景に感激して血気にはやってこの働きに邁進しているというか。ある面で利用されている部分もあるのかなと。ただジャーナリストとしてはこれは致命的な資質の欠如です。記者として記事を書いたツモリになっているのでしょうが、ゴッコの世界です(苦笑)
3)結局、新聞が公器と言う認識がほとんどなく、小学校の壁新聞作りのノリなんでしょうね。あくまでも彼らの団体の中でのメディアにとどめておけば、つまり一種の同人誌的性格にとどめておけば、何も問題がないのでしょうが、この業界で公器としての立場と評価を得ようとするところに無理があります。
4)彼らの反応については、カルト特有の要素を多々覚えますが、これがカルトの病理だけなのか、若さゆえの視野狭窄的反応なのか、前回だけでは判断ができません。おそらくこれらの要素が混合していると思います。ある種昔の学生運動のノリも感じますし、昔東大の駒場キャンパスで自治会を乗っ取ろうとする原理研の連中とやり合ったときの臭いがぷーんとしてきて、懐かしくもありました。
5)山谷さんによりますとACMの教義は出版物もほとんどなく、その学びも秘密化されており、ネット学習でも段階を経て開かれるようなシステムがあるようですから、この教義の検討は困難かも知れませんが、今後きわめて重要になると考えます。表向きは福音主義を唱えるわけで、本音と装飾が乖離しており、しかも巧妙にカモフラージュされていると推測されます。現時点では脱会者ノートが頼りとなるわけですが、「モノ」が入手できることを願っております。しかし彼らとの議論では水掛論になるでしょうね。これがそもそもおかしいわけですが。
という訳で、私としてはハードエヴィデンスである財務諸表の提出を求めたわけですが、どうもあまり触れられたくない点のようですね。
パイロットであり獣医でもあられる経済評論家の田中勝博氏のブログです。ページ中ほどに空間識異常について分かり易く書いておられます。面白いのでご一読下さい。社会現象全般に適用できる真理です。
http://tanaka-yoshihiro.ameblo.jp/