* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
BBSで「牧師らしくなくて」とカキコしてくださった方がいました。おっしゃるとおり、私は「牧師」ではないのですね^^だいたい聖書に牧「師」なんてありませんから。牧者です(預言師じゃなくて、預言者でしょう?)。職業として献金で当たり前に食べてる先生たちからすると、お怒りをいただくでしょうが、私は偽牧師です(笑)。
前にも書きましたが、このニッポンキリスト教の「献身」制度がおかしいのです。考えてみて下さい、高々1%の業界で牧師家族を養い(下手すると子供の大学資金から退職金まで!?)、会堂を建て、働きを負担することがどんなことを意味するか。パウロは新しく生まれた教会(建物でもなく、教団でもなく、召し出された人々のことです)に対して一切の負担を負わせないように、自ら働いたのです。
さらに使徒行伝をよく読んでください。どこに牧師などの単語があるでしょう。そこでは長老たちが手紙をやり取りし、その中で「兄弟から、兄弟へ」とあります。また彼らは日々信徒の交わりをしていたのです。いわゆる教職制度は聖書にはありません!すべての人が聖徒であり、献身者であり、祭司であるのです。その中である人は使徒、ある人は・・・と経綸的な職務があるのです。それは油塗り(アノインティング)によるのであり、それを与えるのはイエスご自身であり、しかもそれは永遠のものでもなく、もしアノインティングがなくなれば、その人の役割はそこまでです。しかしそれにしがみつく人がいるので、周りは苦労するわけです。「牧師先生」をたてまつるために、ね?じゃないですか?
福音を普通のオジサン・オバサンの手に取り戻すこと。普通の生活を当たり前に淡々と送る中で、インマヌエルなる主と交わること。この時すべての人が証し人なのです。はっきり言いますが、一度現在の先生方には総辞職していただいて、ちゃんと仕事をしてもらい、自分の生活をきちんと建て直してから、福音を語っていただくべきでしょう。誰にも負担をかけないように、あえて献金で食べる権利を放棄することです。これが病んだニッポンキリスト教が再出発する第一歩です。まあ、これに触れることはタブーですからね、無理かな?
上で「献金で食べる権利」と書きましたが、正確には聖書には「福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました」とあり、いわゆる信徒からの月定献金で食べることを定めたわけではありません。もちろん純粋に貧に甘んじて主のための働きをなしている方々がおらえることも知っております。そもそも「福音を宣べ伝える人たち」って誰のことでしょうか?
Commented by ジョナサン 2006年09月26日(火)04:47順不同のコメントで申し訳ありませんが、たとえば「救世軍」とか「少佐」などの言葉も概念も、もちとん組織も行動も聖書には無いわけでして。
使徒言行録以降の歴史を捨象してしまうと、救済史もろともLukeさんの生もナンセンスとなってしまうのでは、と...
「福音を宣べ伝える人」とは何か。 これもLukeさんには(たぶん少なからぬ読者にも)よく分かっているはずなので、私は「それを尋ねるLukeさんのこころを尋ねたい」と思ってしまいます。
つまり、Lukeさんって、じぢわるなんですよね。