* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
国文学と漢文学の先生と天皇制についてディスカッションした。その覚え書き―
1)天皇制が「万世一系」であることは系図の上の話であって、生物学的にY遺伝子が保存されているかどうかは不明。アマテラスから続く「万世一系」は政治的意図がある。
2)古代において天皇たちは暦を支配した。それは歌会初めなどの四季折々の行事を通してなされた。もっと言えば時間をコントロールしたである。この時間とは物理的な時間ではなく、主観的な時間である。
3)時間と人の感情あるいは情緒は同期しており、時間の制御によって人の感情・情緒もコントロールされる。これが「和歌」などの効果である。かくして政治システムと共に民衆の感情レベルからの支配を意図した。
4)大和ことばも感情と密接に関連している以上、暦の制御を通してコントロールを受けた。つまり大和ことば、あるいは日本語の中にすでに天皇制が組み込まれており、私たちの感情や情緒をも支配している。
5)ことばと深層心理が密接に関係して以上、私たち日本語を共有する日本人の集合的無意識として天皇制は組み込まれており、意識の上で天皇制を否定しても、深層心理までは否定し切れない。
6)日本語自体に天皇制が組み込まれているとすれば、日本語で天皇制を否定することは、日本語自体を否定することになり、自己撞着に陥る。それほどに深く天皇制は日本人の中に組み込まれている。
要するに日本人の集合的無意識として、あるいは共同幻想として天皇制は存在し、それを否定することは日本自体あるいは日本人自体を否定することになる。それほどに日本人のアイデンティティとなっているというわけ。このあたりを医師でもある国学者でもあった本居宣長は深く考察していたらしい。さらに小林秀雄の本居宣長論も読んでみよと勧められた。
大筋で私の見方と一致していますが、日本語自体の支配と暦の支配と言う見方は初めて聞きました。神事あるいは祭りなどもまさに暦と情緒の一体化の表現ですね。なるほど、それによって情緒を支配できるわけで、見事にミームが蔓延化して、「日本人」と言うマインドウイルスに相当に深くまで感染しているわけです。実に面白い。
言語学と言えば先週のゲストTimのサイトを見つけましたので紹介しておきます。ロンドン首都大学の教授ですね。彼に漢字の霊的意義を説明したら関心を持っておりました。(たとえば「義」は「羊+我」となることなど)
言語学にはシンタクス、セマンテクスなどがあり、その大御所がチョムスキー(最近では反ブッシュ的な政治的発言も多いが)の生成文法であり、言語は先見的にアル普遍文法に従って個々の言語の文法が生成されると言う理論。
私たちからすると、その普遍文法は果たしての大脳のどの部分にどのような形で存在するのかが関心の的となるが、言語と脳の働きの関係はまだまだ分かっていないのだ。この辺りまで突っ込むと、天皇制とは大脳の機能とも関連するわけで、日本人の脳を持つ私たちとしては、大脳生理学的にも天皇制が組み込まれていることになる。養老先生的には唯脳論的天皇制となるだろうか。
【付記】考古学的には最も価値のある、例えば仁徳天皇陵などの発掘が行われないのは、この共同幻想を維持するためらしい。もし発掘してトンでもないモノが出てくると、日本国の根幹が崩れるのだ・・・。と、言われると、ますます掘りたくなってしまうが^^
http://bbs.infoseek.co.jp/Board03?user=agapeestin&pn=2
の59〜外科医さんと提案さんが議論してます。
実に興味深い論考ですね!
御論を読みつつ、小生は、ガラテヤ4:8-10の聖句を想起しておりました。
そこでは、支配する諸霊(ストイケイア)が、日、月、時節、年など、「こよみ」としての時間を通して、わたしたち人間を統制し管理していることが、示されています。
してみると、諸霊(ストイケイア)は、「ことば」と「こよみ」を通して、わたしたちの感情と情緒を支配し、さらに、深層心理と集合的無意識をも支配している、という図式になりましょうや?
そう考えますと、諸霊・ストイケイア・言霊(ことだま)・歳の神(としのかみ)の「支配」から脱して、キリストにある自由を満喫するという境地は、まことに希有なこと、有り難い事、と思わざるを得ません。
つまらないつっこみですが、シンタクス=統語論ですヨ。
生成文法も一つの理論であり、普遍文法も、あくまでその中での概念です。ごめんなさい、私はどちらかというとanti生成文法の認知言語学系だったので、言語学の大御所は生成文法と言われると、ちょっと待ったと言いたくなってしまって。(笑)
ルークさんの論考は、生成文法よりむしろ認知言語学から攻めた方が面白いかもと思いました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/認知言語学
ちなみに、チョムスキーは、私が大学生だった頃からすでに政治的な論文をいろいろ発表して、言語学者の間からはちょっと煙たがられていましたね。
>諸霊・ストイケイア・言霊(ことだま)・歳の神(としのかみ)の「支配」から脱して、キリストにある自由を満喫するという境地は、まことに希有なこと、有り難い事、と思わざるを得ません。
これはおっしゃるとおりですね。このためのポイントは、やはり御言葉による霊と魂の切り分けにあるのだろうと考えております。"私の十字架"の死の機能が鍵であろうと。
>はちこさん
あ、ご指摘方感謝です。そうですか、生成文法はone of themなわけですか。私たちの観点からすると、言語・文法を大脳機能の一部としようとしたところに生成文法の魅力を感じるわけですね。普遍文法は果たしてどこにどのようにして埋め込まれているのか。
関連して昨日の日経の夕刊で東大の大脳生理の宮下教授が、言語・文法は遺伝子レベルで組み込まれていると言っていましたね。すると利根川先生の抗体生成のようなメカニズムによって、普遍文法から個別文法が作り出されるのかなとか夢想しています。
ついでに、Tim Pooleyはこのワークショップでレクチャーしたようですね。はちこさんとも関係ありますか?
http://www.coelang.tufs.ac.jp/conference/workshop2006.htm
おお、Tim先生はコーパス言語学ですか。私はコーパス言語学は全然分かりませんが、今Tim先生のサイトも拝見しました。フランス語がご専門で、translation とありましたね。翻訳理論などをなさっているのでしょうか。大変興味深いです。
>私たちの観点からすると、言語・文法を大脳機能の一部としようとしたところに生成文法の魅力を感じるわけですね。
なるほど。いえ、大脳のことは私の理解力を越えているので、難しいことをぶつけないでください。(笑)私は、ルークさんがこの記事でお話されている「ことば」が人間の情緒を支配する云々ということなら、生成文法よりは認知的アプローチの方がしっくり来るんじゃないかなと思っただけなので。
>深層心理と集合的無意識をも支配している、という図式になりましょうや?
これは私が最も関心のあるところです。霊的存在と私たちの深層心理がどのように関連しているのか。私は著書の中で「霊感情観念複合体」と言う呼び方をしていますが、現在の精神医学では霊的要因を考慮していません。やはり聖霊によって深層心理(大脳辺縁系辺り)までも取り扱っていただかないと、真の自由は味わえないだろうと考えています。
>はちこさん
そうですか、言語学の領域もかなり細分化されているのですね。私的には上に書いたような動機で言語には関心があります。私たちはある意味でことばで構成されているわけですから。
Timのご婦人Joelleはフランス人で、もろ英語がフレンチでした。フランス語を聞いている感じでしたね(汗)フランスの霊的状況は日本ととてもよく似ているようです。