* 旧Dr.Luke的日々のココロ *
今、日本史をずっと学び直している。特に古代史と戦争の前後。日本古来の「神」はクリスチャンの神とは全く違うわけだが、礼拝対象として問題が起きてくる。アマテラスとはいったい何者か?卑弥呼との関係は?また一説によると現人神崇拝の国家神道はキリスト教国家のマネをしたとも言われています。
そこで『日本書紀』や『古事記』を学ぼうと言うわけだが、理系バカの私たちにとって文系学問の難点に突き当たっている。それは歴史は必ずそれを書く人の歴史観あるいはフィルターを経ていることだ。征服した者が征服された者の不義性と自分の正当性を記録するわけ。そこで歴史を知るには第一次の史料に当たる必要が生じるわけだが、今さら『日本書紀』や『古事記』をそのまま読んでいる時間もないし、そもそもそれらが当時の資料を編纂したものらしい。また戦争前後の全記録文書を括るわけにもいかない。これが実に困るのだ。
その点理系の学問は、たとえば相対性理論を学ぶにしても、アインシュタインの原著論文を読む必要はない(科学史の専門家でもない限り)。教科書なりでそのアイディアあるいは仮定を理解したら、後は自分で数式をいじくり回せば、アインシュタインの頭脳で行われれたことを追体験できる。教科書は出来不出来はあっても、決して違う結論を導くことはない。
しかし歴史は違う。書く人のフィルター次第で結論は正反対になり得るわけ。かくして誰を信じて良いか分からなくなってしまう。いわゆる山川出版などの教科書にはあまりイイ思い出がないし・・・。と言うわけで自分が読んでいる本がどんなフィルターを介して書かれた物かをよくよく吟味しつつの学び直しとなって、悪戦苦闘しているわけです。もっと言えば、わが理系オツムの再構築。いやあ、本音のところ、文系の人たちはよくこんな曖昧模糊とした不安かつ茫漠たる作業をやり続けることができるものと感心する次第。
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明日はいよいよ万系一世男系男子天皇制(Y遺伝子)の維持ができるかどうか。何となく男児誕生のような気もするのだが・・・。(それにしてもいったいこのY遺伝子は誰をルーツとするものなのか・・・?アマテラスは女だし・・・?)
やりましたね、男子でした!私の内側で喜びがあるのですが、不思議なものです。私たちに対して主イエスと良心を否むことを強制しない限り、天皇の存在は問題ないと、極私的には考えています。一部のクリスチャンは「天皇を排せ」と主張される向きもあるようですが。私は祝福したいと感じます。
「イエスが主!」−ここをゆずらない限り、天皇であれ、ローマ皇帝であれ、エリザベス女王であれ、毛沢東であれ、スターリンであれ、私たちの証を保つことはできるのです。
Lukuさんに同感です。(テモテT2:1)に「まず初めに、このことを勧めます。すべての人の爲に、また王とすべての高い地位にある人たちの爲に願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」とありますし、(使徒4:19)に「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。」とありますから。権力が悪用されクリスチャンとして生きづらくなるようなことがあっても、「私たちの中で誰一人として、自分の爲に生きているものはなく、また自分の爲に死ぬものもありません。もし、生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主の爲に死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」その時、その時の適切なみことばに生きることが出来ればと私自身願っています。「赤子に等しきか弱き我は、ただ主にすがりていのちに歩まん。一足、一足、主にすがりて絶えず絶えず我は進まん。」(A.B.Simpson)
Commented by Luke 2006年09月06日(水)11:12「男のお子様は元気よくオギャーとおっしゃっておられました・・・」という産科医師のお言葉は大変に名言であるものと存じます^^
(それにしても、やけに「お」のつくお言葉があちこちでお聞こえになっておりますねぇ。これも言霊のなせるわざでございましょうか。)
私も男と思っていたが、よかったですねとつぶやいた。帝王切開のとき思い出しながら。
皇室の話はついついテレビでも週刊誌でもパラパラとみてしまう。今では主がすべてに一番とおもうようにかえられた。
>一部のクリスチャンは「天皇を排せ」と主張される向きもあるようですが。
先日ブログででてきた美濃ミッションの人たちがその急先鋒のようですね。
提灯行列はしないのですかね^^
雅子様はホッとされたでしょうね。一番の重圧はお世継ぎ問題でしたから。雅子様も精々海外親善のご公務に勤しまれんことを願います。
親王誕生との事、やはり心底望まれていた結果になりましたね。
私自身にとっては天皇家も、英国王室も同じ(共に「すべての人の爲に、また王とすべての高い地位にある人たちの爲に願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい」の対象範囲という意味で)なのですが、天皇家に関しては男系による万世一系の家系である事に日本伝統文化の一部としてその存在意義があるのではと思っています。 だから、女性天皇は前例があるから仕方なくても、皇室女性に対する男子出産のプレッシャーを除くための女系論は本末転倒で可笑しいなと思っていました。 スケールは違いますが、例えば歌舞伎役者の家ならばやっぱりお嫁さんは男の子を産むのが役目です。 市川染五郎を娘が襲名するわけにはいかないから、それが伝統だからです。雅子様は確かに可哀想な時期もありましたが、これからは御得意の国際親善で元キャリア組の才を生かしていただけるのではないでしょうか。